だからドキュメンタリーのように見える。導入部の牧夫の人生などは、レイモン・ドゥパルドンの『モダン・ライフ』(あるいはそれを含む“農民の横顔”三部作)を想起させる。
作家のアモス・オズが講演集『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』で語っているように、人はほんの150年くらい前までは、自分が生まれた場所の近辺で一生暮らし、親と似た仕事をし、行いがよければ死後にもっとよい世界が待っていると信じていた。
『モダン・ライフ』に登場する高齢の農民たちは、いまもそのような生き方をしている。そして、『四つのいのち』に登場する牧夫、教会の床の埃には癒しの力があると信じ、それを薬のように水に混ぜて飲むこの牧夫もまた、そのように生きているように見える。
ちなみに、フランマルティーノ自身は、プレスのインタビューのなかでこのように語っている。
「カラブリアの牧夫たちと過ごした経験が私に動物をクローズ・アップで見る機会を与えてくれ、その後、動物の世界に夢中になりました。カメラを気にしない動物たちは、フィクションとドキュメンタリーの垣根を超えたいという、私が映画を作るときにいつも抱いている願望を果たさせてくれました」
また、この映画では独特のユーモアが印象に残る。たとえば、蓋をした鍋に閉じこめられたカタツムリがいつの間にか外に這い出していたり、犬が巻き起こすハプニングが計算された長回しで描かれている。それらはおそらく、この映画がドキュメンタリーではないことを示唆するサインなのだろう。
もちろん、こうした(ドキュメンタリーに見えてそうではない)フランマルティーノのスタイルに疑問や抵抗を覚える人もいるはずだ。
そこで筆者が思い出すのが、ノルウェー出身のサウンド・アーティストJana Winderenのことだ(Jana Winderen 『Energy Field』 レビュー)。彼女は、自然のフィールド・レコーディングで採取した音源を作曲のための素材と位置づけ、重ねたり編集することでサウンドスケープを作り上げている。
フランマルティーノも同様にドキュメンタリー作家ではなくアーティストとして、独自のアニミズムの世界を切り拓いているといえる。 |