スチュワーデスになりたい彼女は、空港のお偉方であるヨアヒムに相談するが、その男は無類の女好きとして知られている。アレクセイは、彼女がインドに残してきた息子を呼び寄せるのに苦慮しているのを知り、自腹を切ってブローカーに頼み、秘密裏に入国させる手筈を整えるが、思わぬ手違いが起こってしまう。
この映画では、空港という環境と多様な異文化が対置される。主人公の他にも、ヤギと神秘的な関係を築くアフリカ人、自分で修理したプロペラ機で祖国に帰ることを望むモンゴル人、モルダビア人の掃除婦などが登場し、インド映画のトレードマークである歌と踊りのシーンまで盛り込まれている。
アレクセイの仲間たちは、監視カメラの動きをチェックして仕事の手を抜き、移民局が踏み込んでくると迷路のようなパイプに逃げ込み、手荷物の運搬システムを使って移動する。
そしてもうひとつ見逃せないのが、ヘルマーの前作『ツバル』にも描かれていた古い機械と新しいテクノロジーの対置だ。ニーシャに興味津々のお偉方は、彼女をフライト・シミュレーターに誘う。その空間のなかでは、一瞬にしてリオの空港にも舞い降りることができるが、すべては幻想である。これに対して、窮地に陥ったアレクセイの強い味方になるのは、モンゴル人のプロペラ機なのだ。
『堕天使のパスポート』のオクウェとシェナイは、アパートで便宜的な共同生活を送っているが、メイドと夜勤であるためほとんど顔を合わせることはない。ある日、客室をチェックしたオクウェは、詰まったトイレから人間の心臓を発見する。
ところが支配人のファンは、金で彼の口を封じようとする。元々医者であるオクウェは、その問題を見過ごせないが、不法滞在者であるため自分で警察に通報することは難しい。やがて彼は、その客室で密かに臓器の売買が行われ、ファンがそのブローカーであることを知る。
この映画でも表と裏の世界をめぐって、ホテルという環境と異文化が様々に対置されていく。主人公たちを含めて、ホテルの従業員には外国人が目立つ。その従業員たちは、監視カメラで出勤が確認される。オクウェがシェナイにナイジェリアの料理を振舞うときは、宗教の違いを考慮する。オクウェの親友で、病院で働くグオイは中国人の難民である。臓器の売買に引き寄せられてくるのも外国人だ。
オクウェは、成り行きで言葉も通じないアフリカ人の面倒を見ることになる。その男は、いいかげんな手術で臓器を摘出され、苦痛にあえいでいたのだ。結局、オクウェとシェナイは、移民局にマークされ、ホテルを辞めざるをえなくなるが、ホテルは最後まで彼らを呪縛する。どんな手段を使ってもパスポートを手に入れたいシェナイを守るために、オクウェは大きな決断を迫られることになる。
『ゲート・トゥ・ヘヴン』と『堕天使のパスポート』では、空港とホテルという舞台から『カンパニー・マン』とはまったく対照的なドラマが紡ぎ出される。『カンパニー・マン』の主人公は、そんな環境のなかで交換可能な存在になっていく。逆にこの2作品では、グローバリズムを象徴する空間が、その裏側で様々な異文化を引き寄せ、他者性が鍵を握る人間ドラマの背景になるのだ。 |