「こんなにわずかの人間がこんなに多くの人間をこんなにこき使うのは、人類の歴史でも初めてのことです。温首相。この国では、一握りの人間が残りの九十九・九パーセントの人間をあらゆる面で強力に、巧妙に、狡猾に教育して、永遠の奴隷にしたてあげてきたのです。その奴隷根性のすさまじさたるや、自由への鍵をわたしてやっても、悪態とともに投げ返されるほどです」
ではどうして鳥籠が機能するのか。インド人の家族が、この籠にインド人をとらえ、縛りつけているからだ。そこから脱出することはできるのか。もし、主人の金を奪って逃げたとしたら。家族をみな殺しにされても平気な人間にならそれができる。
この小説は、人非人となって鳥籠から脱出した男の告白になっている。そして、ひとたび鳥籠から出てしまえば、殺人者であっても逆に鳥籠を利用して成功を収めることができる。
温家宝首相に宛てた手紙というかたちも効果的だ。この物語では、インドと中国が皮肉交じりに対置される。たとえば、こんな表現で。
「たいしたもんでしょう、インドの鳥籠は。こんなものが中国にありますか? ないでしょう。あれば共産党が国民を撃ち殺すとか、秘密警察が夜中に自宅から人々を連行して牢屋に入れるとか、わたしが噂に聞いているようなことはしなくていいはずですから。インドに独裁政権はありません。秘密警察もありません。鳥籠がありますから」
だが、やがてグローバリゼーションが、鳥籠を壊すことになるかもしれない。この物語はそんなことも示唆しているように思える。 |