喪失の響き / キラン・デサイ
The Inheritance of Loss / Kiran Desai (2006)


2008年/谷崎由依訳/早川書房
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(初出:Into the Wild 1.0 | 大場正明ブログ 2009年3月1日更新、若干の加筆)

 

 

西洋中心主義が生み出す負の連鎖を、
奔放なイマジネーションと皮肉なユーモアで描き出す

 

 インド出身の女性作家キラン・デサイは、2006年に発表した本書『喪失の響き』でブッカー賞を女性としては最年少の35歳で受賞し、さらに全米批評家協会賞にも輝いた。

 アミタヴ・ゴーシュの『ガラスの宮殿』ほどスケールは大きくはないが、ユニークな人物たちが繰り広げる物語を通して、植民地と植民地以後の歪みを浮き彫りにする鋭く豊かな感性にはそれに通じるものがある。この小説では、差別の負の連鎖が、私たちを引き込む磁場を生み出していく。

 舞台は1986年、北ヒマラヤの高地。登場人物は、引退した判事と彼の孫娘サイ、サイの家庭教師であるネパール系のギヤン、判事に仕える料理人、そして彼らの隣人たちだ。物語は、ネパール系インド人のGNLF(ゴルカ民族解放戦線)の運動が起爆剤となって、展開していく。登場人物たちはその運動に巻き込まれることによって、それぞれの過去と現在が複雑に絡み合っていく。

 決して高いカーストではなかったジェムバイ(後の判事)は、父親の助力によって地元で初めてイギリスに留学する人間となり、インドに戻って行政府の視察官になった。そんな彼は、イギリスでさんざん差別されたにもかかわらずインド人を嫌悪し、イギリス人になろうとした。そして、視察官として、これまで自分の家系を踏みつけにしてきたカーストに対して権力を行使することに喜びを覚えていた。


 

 そんなふうに過去を封印してきた判事は、自分が培ってきたものが、孫娘サイに引き継がれていることに気づく。交通事故で両親を失い、修道院でシスターに育てられたサイは、「インドで異邦人であるインド人」だった。彼女の家庭教師となったネパール系の貧しいギヤンは、彼女に惹かれながらも、西洋化された彼女の文化に憎しみを覚える。

先祖がみな白人に仕えてきた料理人は、自分の主人がこの判事であることに抵抗を覚えていた。そんな彼は、アメリカに渡った息子のビジュが故郷に錦を飾るのを心待ちにしている。そのビジュはアメリカで、インドに多大な害を及ぼしたのが白人であることを承知しつつも、インドに害など及ぼしていない人種に差別の目を向けている。

 一方、判事の隣人で、これまで富に支えられ、オリエンタリズムの幻想のなかで生きてきたイギリス人姉妹は、GNLFに富を奪われ、現実に目覚めていく。

 キラン・デサイは、奔放なイマジネーションと皮肉なユーモアでシリアスなテーマを掘り下げ、実に魅力的な物語を紡ぎだしている。


(upload:2012/12/28)
 
 
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