ルドレシュ・マハンサッパ(Rudresh Mahanthappa)は、インド系アメリカ人のサックス奏者/コンポーザーだ。彼の両親は、南インドのバンガロールからアメリカに渡ったが、どうもその前にしばらくイタリアに住んでいたことがあるらしく、マハンサッパは北イタリアのトリエステで生まれ、アメリカのコロラドで育った。現在はニューヨークを拠点に活動している。
2004年のこのアルバムは、“Mother Tongue(母語)”というタイトルや曲目にテーマが表れている。たとえば、“Kannada(カンナダ語)”、“Gujarati(グジャラート 語)”、“Telugu(テルグ語)”、“Konkani(コンカニ語)”、“Tamil(タミル語)”、“Malayalam(マラヤラム語)”のように、インドで使われている様々な言語から曲名がとられている。
インドのことをあまりよく知らないアメリカ人には、インド系ディアスポラであるマハンサッパのバックグラウンドが単一文化の世界であるように思えるらしい。このアルバムには、インドに対するそうした先入観を払拭し、多様な言語や文化があることを伝えようという狙いがある。
これは重要なテーマだといえる。パキスタン出身のギタリスト、レズ・アバシの『Things To Come』でも書いたが、このマハンサッパのスタンスから筆者が思い出すのは、ノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者アマルティア・センの著書『議論好きなインド人――対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界』のことだ。
インドの歴史や文化、アイデンティティを掘り下げようとする本書では、インドの特性として対話の伝統と異端説の受容が強調される。著者のセンは、その象徴として仏教徒だったインド の帝王アショーカとムスリム皇帝アクバルに繰り返し言及する。
紀元前三世紀、アショーカは、公共的な討論のための最も初期の規則を規定し、広めようと努力 した。「かれは寛容の必要と異端説の豊かさを指摘しただけではなく、敵に対しては「いかなる場合でも、あらゆる形で、正しく敬意をはらう」べきだとし た」。一方、アクバルは1590年代に、アショーカと同じように、さまざまな信条の信奉者間での対話を促進した。
センがなぜこの対話の伝統と異端説の受容にこだわるのかといえば、インドでは90年代末から2000年代初頭にかけてヒン ドゥー至上主義が台頭し、過去や歴史を塗り替えようとしたからだ。インドは、人口の八割がヒンドゥー教徒でも、イギリスとフランスの人口をあわせたよりも 多い、世界で三番目に大きなムスリム人口を擁している。
センによれば、ヒンドゥー至上主義は、インドがその内部に抱える多様な構成要素をひとつにまとめようとしただけではな い。世界には、少なくとも2000万人の規模にのぼるインド人のディアスポラが存在するが、「とくに北米とヨーロッパのインド人ディアスポラからヒン ドゥー至上主義に寄せられる大きな支持」があるという。ちなみに、ヒンドゥー至上主義の問題については、エドワード・ルースの『インド 厄介な経済大国』 でも一章を割いて詳しく論じられている。
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