ドイツ映画界の新鋭ファイト・ヘルマーの長編デビュー作『ツバル』は、この監督のユニークな美学や世界観を強く印象づける作品だった。彼は、モノクロで撮影したフィルムに着色した映像、サイレントを意識した字幕不要の演出、レトロな造形、ダッチワイフなども飛び出すキッチュな趣味などによって、時代も場所も定かではない世界を作り上げた。ドラマの内容も、そんな世界に相応しいファンタジックでピュアなラブストーリーだった。
しかし、そのドラマには、現実に対するシリアスな視点もしっかりと盛り込まれていた。ヘルマーは、主演のドニ・ラヴァンやチュルパン・ハマートヴァを筆頭に、様々な国から人材を集めて、この映画を作った。その舞台となる老朽化した屋内プールとは、人と人が言葉を使わなくてもわかり合える国境を越えた聖域のようなものであり、この映画ではそこに利益だけを追求する再開発の波が押し寄せてくるのである。
新作の『ゲート・トゥ・ヘヴン』では、そんな現実がまったく異なる設定で掘り下げられていく。この映画でまず注目したいのは、空港という空間である。ジョン・トムリンソンはその著書『グローバリゼーション』のなかで、空港とグローバリズムによる世界の均質化がこれまで頻繁に結びつけられてきた理由を、このように説明している。
「なぜなら、世界中の空港ターミナルがどれも似たようなものであることは否定しようもないからだ。異なる文化的空間への出口や入口は、これまでたびたび指摘されてきたように、奇妙なまでに画一的で標準化されている」
ヘルマーはそういう空間を舞台に選び、そこに『ツバル』のプールに通じる聖域を生み出してしまう。この映画には、アレクセイとニーシャという主人公の男女を筆頭に、多くの外国人たちが登場する。ブローカーの手引きで空港の地下施設で寝泊りする不法入国者たちは、清掃婦たちと同じように手荷物運搬システムで移動し、画一的な空港のなかに多様な異文化が共存する不思議な世界を作り、自由を求めて力を合わせていくのだ。
それから、機械をめぐるエピソードも見逃せない。『ツバル』では、プールの調節をする古い機械と合理化のために強引に持ち込まれる新しいテクノロジーが、聖域と再開発を象徴していた。
この映画にもそんなアナログとデジタルのコントラストがある。ニーシャに目をつけたノヴァクは、彼女を飛行訓練用のフライトシミュレータに誘う。そのヴァーチャルな空間のなかでは、一瞬にしてリオの空港にも舞い降りられるが、すべては幻想に過ぎない。これに対して、アレクセイの強い味方になるのは、仲間のモンゴル人が飛べるように修理した古いプロペラ機なのである。
ヘルマーは、画一的な空間と多様な異文化、デジタルとアナログなどのイメージを巧みに組み合わせることによって、グローバリズムの時代のなかに、彼ならではのコスモポリタニズムのヴィジョンを切り開いてみせるのだ。
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