――映画監督を目指すきっかけというのは。
VH 僕は子供の頃にパントマイムをやってた。チャップリンの大ファンで、チャップリンのものは何でも集めていた。あの頃は映画の世界をそのまま信じ込んでいた。それが幻想であることを僕に思い知らせ、ベールを取り払ったのは、14歳の時に観たトリュフォー監督の「アメリカの夜」だった。まるでサンタクロースは実は隣のおじさんだったとわかった時のような衝撃だった。
映画の背後にはカメラマンや裏方がいることを初めて知って…それは僕にとって素晴らしい体験だった。人間がそういう世界を作れるということが、まるで魔法のように思えた。監督というのは全宇宙を作れる神様のような存在なんだと思って、さっそく次の日から映画を作り始めたんだ。
――この映画は、サイレント映画にインスパイアされたところがあると思うのですが、サイレント映画には以前から関心があったのでしょうか。
VH サイレント映画の時代というのは、映像による言語がいちばん豊かな時代だったと思う。トーキーの時代に入り、話すことによって、そうした芸術性が後退してしまった。最近では、アキ・カウリスマキやヴィム・ヴェンダース監督がサイレントに取り組んでいるけど、どちらの作品も非常に懐古趣味的になっている。僕が『ツバル』でやろうとしているのは、まったくそういうものではない。
僕も過去から何かを作り出すけど、あくまで未来を志向している。映画という手段で革命的なことはできないけれども、小さな一歩ではあっても映画を本来の姿に戻したい。『ツバル』では、そういう一歩を踏み出したと思う。この映画には、言葉や音声にならない叫びというものがあると思う。これはテレビやその他のメディアで言葉が氾濫していることに対するささやかな抵抗なんだ。
僕は映画を本来の場所に戻し、映像の力を取り戻したいと思っている。
――いまはデジタル全盛ですが、この映画はアナログ感覚というか、手作りの感触というものがとても印象に残るのですが。
VH 僕は古いアナログの機械には魂があると思う。機能したり、しなかったりするところも人間的だ。デジタルの機械というのは、0と1の世界で中間がない。僕はその中間にある音というのが大事だと思う。『ツバル』は製作にあたってコンピュータはまったく使ってない。この映画は非常に古い方法で撮っていて、照明なども石炭を燃料にする古いものを使った。
この映画にはそういう手法が適していたと思う。なぜなら人間は古い伝統を維持しつつも、同時に伝統から脱皮しなくてはいけないという局面があり、そういう変化に歩調をあわすことの難しさを表現するのに相応しい手段だったと思うから。
映画で地下室にある古い機械は、プールの魂を具現している。その魂とは隣人愛だ。一方、アントンの兄グレーゴルが持ってきたデジタル機械というのは、テクノロジー、システム、プロフィット(利益)という三つの言葉で表され、グレーゴルは、プールに集まる人々がなんでそこに来ているのかを理解していない。彼は、人はプールにただ泳ぎにきていると思っているけれども、
そこに来る人は本当は人間に会うために集まっている。現実の世界に目を向けると、このプールのような場所がどんどん減っている。ヨーロッパでも昔ながらの映画館というのがどんどん減っていて、大きい劇場でポップコーンを食べながら、まるで映画を消費するような、そういう施設がどんどんできている。新しい技術というのは、人間のコミュニケーションを助けているように見えるけど、
実はそうではないのではないか。たとえばインターネットで日本とカナダにいる人が、すぐにコミュニケーションできるけれども、自分の隣に住んでいる人のことを知っているかというと、まったく知らない。
――この映画に、単なるファンタジーとは違うリアルな空気があるのは、そういう再開発やジェントリフィケーションの現実が盛り込まれているからだとも思うのですが。
VH 再開発というのは、この映画の出発点ではないけど、プールの存在を脅かしているのは誰か、一体なぜ脅かされているのかと考えてみると、いろいろ見えてくるものがある。東ドイツでも非常にたくさんのものが何も考えることなく壊された。映画でもプールにいた人たちが勝利するのではなくて、結局、壊そうとした人たちに屈服してしまうところに一種のリアリティが生まれているわけだけど、
プールを壊そうとした人たちも勝利者ではない。結局彼らもいつかは不幸になってしまうと思う。アントンとエヴァは最後に機械を救い出す。その機械というのは、心、心臓なんだ。その心は船のなかで生きつづける。そのよい魂が生きつづけるというところに、僕の小さな希望が表現されてるんだ。
――次回作について具体的になっていることがあったら教えてください。
VH 僕は監督だけではなく製作にもたずさわって、本当に自分の頭のなかにあるアイデアをかたちにしたい。それを実行するにはだいだい5年くらいかかるので、いまここで話をしてしまうと、5年後にここに来たときに、昔言ったことは忘れてしまったということになったらイヤなので、あまり話しません。とにかく何かまったく新しいことをやるつもりだ。すでに脚本には着手していて、
今回の作品と同じようにどこか一ヶ所に限定した場所の話になる。僕は他の監督の真似をするのも、自分の作品をもう一度繰り返すのもすごくイヤなので、とにかくまったく違うものになる。ただ次回も、ちょっと変わった人々の恋愛を描いたものにはなるでしょう。
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