■■ビレ・アウグスト監督『マンデラの名もなき看守』■■
ビレ・アウグスト監督が実話を映画化した『マンデラの名もなき看守』では、27年にわたるネルソン・マンデラの獄中闘争の時代を背景に、マンデラとの出会いによって変貌を遂げていくある看守の姿が描かれる。政治犯を収容する刑務所に赴任したジェームズ・グレゴリーは、危険なテロリストとされるマンデラの検閲官に抜擢される。マンデラの故郷の近くで育ち、原住民が使うコーサ語に通じていたからだ。
この映画で筆者が興味をそそられたのは、偏見から解放されていくグレゴリーのなかに膨らむ「歴史」に立ち会いたいという願望だ。歴史を変えようとしている人間と交流を持つのだから、それは不思議なことではない。だが、映画が作られた現在から当時を振り返ってみると、この歴史に別の意味を読み取ることもできる。
マンデラは冷戦体制の崩壊と同時期に釈放され、それ以後はグローバリゼーションの拡大とともに、政治ではなく経済が世界を動かす時代に移行する。たとえば、ジョン・グレイの『グローバリズムという妄想』のなかには、このような記述がある。
「自由市場は現代世界に存在する伝統を分解するのにもっとも効力がある。自由市場は新しいものを重視し、過去を軽視する。それは未来を現在の無限の繰り返しにする」
そんな現代世界の変化を踏まえるなら、27年もの獄中闘争を経て達成される「歴史」には、特別な意味を見出すことができる。アウグスト監督は、単に実話を映像化するだけではなく、グレゴリーを通して個人と歴史の関係を見直そうとしたのではないだろうか。
■■ペドロ・コスタ監督『コロッサル・ユース』■■
一方、ポルトガルのペドロ・コスタ監督の『コロッサル・ユース』は、そんな現代を乗り越え、失われた歴史を呼び覚まそうとする映画だといえる。コスタの以前の作品『ヴァンダの部屋』では、アフリカ系移民たちが暮らすリスボン郊外のスラム街の取り壊しが進められているところだった。この映画では、すでにスラム街はほとんど消失し、住人たちは真新しい集合住宅に強制移住させられている。
かつてのスラム街には、積み重ねられた時間があり、地縁があった。これに対して集合住宅は、明るく清潔には見えるが、極めて画一的で、病棟や刑務所のようにも見える。だが、この映画は、そんな現実を映し出すドキュメンタリーではない。
コスタ監督は、スラム街に34年間暮らしてきたヴェントゥーラと信頼関係を築き上げ、彼がリスボンにやって来た時代と、集合住宅への移住を迫られる現在とを巧妙に重ね合わせ、過去と現在が複雑に入り組む映像世界を構築しているのだ。
■■イ・チャンドン監督『シークレット・サンシャイン』■■
韓国のイ・チャンドン監督の新作『シークレット・サンシャイン』では、息子とともにソウルから亡夫の故郷である地方都市ミリャン(密陽)に転居してきたシネが、ある日突然、誘拐事件で息子の命を奪われ、深い絶望のなかで信仰に救いを求め、狂気に囚われていく。この物語は、ここでテーマにしている時代の変化とは無関係に見えるが、イ監督の過去の作品を振り返ればその印象が変わることだろう。
『グリーンフィッシュ』では、主人公の家族が営む食堂とその背後に聳えるニュータウンの間に、歴史と現在を分かつ境界線が引かれていた。『ペパーミント・キャンディー』の主人公は、ニュータウンの不毛な生活から時間を遡り、境界線を越えて歴史のなかに分け入っていく。そして、もはや境界線すら存在しない『オアシス』では、物質的な豊かさだけを求める家族に利用される主人公たちが、愛によって幻想の空間を生み出し、現実を凌駕していく。
新作でまず興味深いのは、原作であるイ・ションジュンの小説「虫の物語」に対するイ監督の視点だ。プレスに収められたコメントのなかで、イ監督は、この物語には光州事件の加害者が被害者に和解を申し入れることへの不信感が寓意として盛り込まれていると語っている。和解を求める権利はあくまで被害者のものではないかということだ(※光州事件については、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』レビューが参考になるかもしれない)。
イ監督は、そんな政治的な寓意が成立しがたい現代を背景に、あえてこの小説から物語を紡ぎだしている。とすれば、ドラマには表れないものの、彼は個人だけではなく、歴史の揺らぎも意識していたといえる。そして、想像力を働かせれば、加害者と被害者の関係に接点を感じることもできるだろう。孤独な主人公シネは、既成の秩序や価値観が揺らぐ時代のなかで、愛や人生の普遍的な意味を執拗に求め、幻想に引き込まれる。だがやがて、空気のように自分を包み込んでいる男の存在に気づくことになる。
■■デヴィッド・クローネンバーグ『イースタン・プロミス』■■
デヴィッド・クローネンバーグ監督の『イースタン・プロミス』でまず注目しなければならないのは、スティーヴン・ナイトが脚本を手がけていることだろう。彼はスティーヴン・フリアーズ監督の『堕天使のパスポート』の脚本で、ロンドンにあるホテルを舞台に、グローバリゼーションと不法滞在者たちの世界を掘り下げていた。そんなテーマはこの作品にも引き継がれ、グローバリゼーションのなかで変貌するロンドンの影の部分が描き出される。
物語は、身元不明のロシア人少女が病院に運び込まれ、女の子を産んで息を引き取るところから始まる。その手術に立ち会った助産師のアンナは、少女が遺したロシア語の日記を手がかりに身元を突き止めようとして、気づかぬうちに人身売買で利益を得るロシアン・マフィアと関わりを持ってしまう。そんな彼女は、トラブルを冷酷に処理するマフィアの運転手ニコライになぜか窮地を救われ、ふたりは、少女の正体をめぐって複雑に絡み合っていく。 |