オアシス
Oasis  Oasiseu
(2002) on IMDb


2002年/韓国/カラー/132分/ヴィスタ/ドルビーSRD
line
(初出:「Cut」2004年1月号 映画の境界線29より抜粋、若干の加筆)

 

 

歴史の終わりと新たなオアシス

 

 『オアシス』の冒頭で、家族(母親と兄一家)のもとに戻ってくるホン・ジョンドゥは、暴行、強姦未遂、轢き逃げの前科三犯。刑期を終えた彼は、轢き逃げで亡くなった被害者の家族を訪ね、重度脳性麻痺の女コンジュに出会う。そして、花束を抱えて再び彼女のアパートを訪ね、勝手に部屋に上がりこみ、誘惑する。

 そのうちに欲望が抑えられなくなった彼は、コンジュを強引に自分のものにしようとするが、彼女がショックで失神したために、慌てて逃げ出す。それはまさしく非道な行ないではあるが、顔と身体が激しく歪み、話すこともままならないコンジュは、彼の「かわいい」という言葉に心を動かされていた。

 イ・チャンドンの過去の2作品『グリーンフィッシュ』と『ペパーミント・キャンディー』からは、変貌を遂げる韓国社会を象徴する境界線が浮かび上がってきた。『グリーンフィッシュ』では、主人公マクトンの家族が営む食堂とその背後に聳えるニュータウンの間に境界線が引かれていた。それは、歴史と歴史の終わりを分かつ境界線といってもよいだろう。マクトンは、あえて歴史を背負い、歴史に骨を埋める。『ペパーミント・キャンディー』の主人公ヨンホは、時間を遡っていく過程で、ニュータウンの不毛な生活から、境界線を越え、歴史のなかに深く分け入っていく。

 『オアシス』には、もはやそういう境界線は存在しない。しかし、歴史が終わった世界のなかからは、新たな境界線が浮かび上がってくる。この映画は、前科者で突飛な行動を繰り返す男と重度脳性麻痺の女の純愛を描いている。だが、彼らのアウトサイダーや弱者の立場が、そのまま単純に境界線となるわけではない。

 この映画でまず注目しなければならないのは、ふたりの主人公と彼らの家族との関係だろう。ジョンドゥは轢き逃げの罪で服役したが、実は事件を起こしたのは彼の兄だった。彼は進んで身代わりとなった。それは感謝されて然るべきだが、家族は正直なところ、彼が刑務所にいてくれた方が助かると思っている。

 一方、コンジュの面倒を見るべき兄夫婦は、彼女を老朽化したアパートに置き去りにし、自分たちだけが真新しい身体障害者向けマンションに引っ越し、彼女との同居を装い、役所の目をくらましている。

 歴史に踏み止まる『グリーンフィッシュ』のマクトンは、家族が一緒に暮らすことを夢見ていたが、歴史が終わった世界を生きるこの映画の登場人物たちは、身近な弱者やお人好しから搾取し、物質的な豊かさを求める。

 ジョンドゥとコンジュには、なにもない。だが、なにもないからこそ、想像力が研ぎ澄まされていく。彼らは、ふたりだけの世界を構築していく。そこでは、コンジュも、自由に歩き、踊ることができる。そして、やがて幻想と現実が転倒する。


◆スタッフ◆

監督/脚本   イ・チャンドン
Lee Chang-Dong
撮影 チェ・ヨンテク
Choi Yeong-Taek
編集 キム・ヒョン
Kim Hyun
音楽 イ・ジェジン
Lee Jae-Jin

◆キャスト◆

ホン・ジョンドゥ   ソル・ギョング
Sol Gyung-Gu
ハン・コンジュ ムン・ソリ
Moon So-Ri
ホン・ジョンイル アン・ネサン
Ahn Nae-Sang
ホン・ジョンセ リュ・スンワン
Ryoo Seung-Wan
ジョンイルの妻 チュ・グィジョン
Chu Kwi-Jung
ハン・サンシク ソン・ビョンホ
Son Byung-Ho
サンシクの妻 ユン・ガヒョン
Yun Ga-Hyun

(配給:シネカノン)
 


 ジョンドゥは、家族から牧師を紹介されたとき、その場で祈ってほしいと頼むが、それは彼に信仰があるからではない。彼は、牧師と家族が祈る間、自分も祈る振りをしながら目を開け、彼を救う神など存在しないことを確認している。後に彼らは、警察署でもう一度同じことを繰り返すが、それがジョンドゥの逃亡の機会となることは興味深い。逃亡した彼は、神に代わって自分の手で木の枝を切り落とし、コンジュが怯える影を消し去る。それは、オアシスという幻想を実体化させることでもある。

 『グリーンフィッシュ』で、マクトンの家族が営む食堂は、ニュータウンという砂漠のなかにあるオアシスのように見えた。『オアシス』のジョンドゥとコンジュは、愛と想像力によって、歴史が終わった世界のなかに新たなオアシスを生み出すのだ。


(upload:2006/05/31)
 
 
《関連リンク》
グローバリゼーションのなかで揺らぐ歴史と個人
――『マンデラの名もなき看守』 『コロッサル・ユース』
『シークレット・サンシャイン』『イースタン・プロミス』をめぐって
■

 
 
amazon.co.jpへ●

ご意見はこちらへ master@crisscross.jp


copyright