グローバリゼーション・パラドクス――世界経済の未来を決める三つの道 / ダニ・ロドリック
The Globalization Paradox: Democracy and the Future of the World / Dani Rodrik (2011)


2014年/柴山桂太・大川良文訳/白水社
line
(初出:)

 

 

世界経済の政治的トリレンマを踏まえ
健全なグローバリゼーションへの道を探る

 

 1997年にはアジア金融危機が、2007年にはサブプライム危機が発生した。一方、貿易の場合には束縛的なルールがあるため、金融のような極端な爆発は起きないが、歪んだシステムの影響が時間をかけて現れてくる。最近では、アメリカのような主要国でもグローバリゼーションへの支持が低下し、主流派経済学者までもが、グローバリゼーションの長所とされていたものに疑問を投げかけ始めているという。

 では、グローバル資本主義を維持するためにはなにが必要なのか。著者のダニ・ロドリックは、序章で「私は二つの単純なアイデアに基づいてこれまでとは別の物語を提示しようと思っている」と書いているように、本書では途方もなく斬新な対処法が用意されているわけではない。

 その記述の細部に関して言えば、ジョセフ・E・スティグリッツが『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』に書いていることと重なる部分も少なくない。

 たとえば、市場と政府の関係だ。市場が自律的に経済効率性を実現するという市場原理主義に根ざし、国際経済機関が、環境の違いを無視して、唯一無二の経済観を当てはめようとすれば失敗を招く。資本主義の形態はひとつではなく、政府が適切な規制と介入を行わなければ経済効率の向上は望めない。

 そもそもアメリカが成功した一因は、開発促進と市場統制と基礎的社会事業の分野で、政府が一定の役割を果たしたことにある。さらに東アジア諸国が急成長を遂げたのは、グローバル化を無条件に受け入れたわけではなく、巧みに管理していたからだった。開発を成功させるためには、市場だけではなく、政府の機能も強化し、特定の国の特定の開発段階において、市場と政府の正しい混合比率がどこにあるのかを見定めることが重要になる。

 こうしたスティグリッツの視点と、本書の出発点はほぼ同じところにある。ロドリックは序章で「二つの単純なアイデア」を以下のように説明している。

最初のアイデアは、市場と政府は代替的なものではなく補完的なものだということだ。よりよく機能する市場が欲しいのであれば、よりよい政府が必要となる。市場経済は国家の力が弱いところではなく、国家の力が強いところで最もよく機能するのだ。二つ目のアイデアは、資本主義は唯一無二のモデルに従って形作られているものではないということだ。経済の繁栄と安定は、労働市場、金融、企業統治、社会福祉など様々な領域における様々な制度の組み合わせを通じて実現することが可能なものだ。国家は、これらの制度の組み合わせの中から自身の必要性や価値観に基づいて様々な選択をする――いや実際に国家にはその権利がある

 しかし、そんな出発点から展開する方向がまったく違う。『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』では、貿易システム、知的財産権、天然資源、地球温暖化、多国籍企業などをめぐって、不公正なシステムが次々と浮き彫りにされていく。それに対して本書では、グローバリゼーションの歴史をさかのぼり、市場と国家や民主主義の関係や変化が明らかにされていく。


◆目次◆

序章   グローバリゼーションの物語を練り直す
第1章 市場と国家について――歴史からみたグローバリゼーション
第2章 第一次グローバリゼーションの興隆と衰退
第3章 なぜ自由貿易論は理解されないのか?
第4章 ブレトンウッズ体制、GATT、そしてWTO――政治の世界における貿易問題
第5章 金融のグローバリゼーションという愚行
第6章 金融の森のハリネズミと狐
第7章 豊かな世界の貧しい国々
第8章 熱帯地域の貿易原理主義
第9章 世界経済の政治的トリレンマ
第10章 グローバル・ガバナンスは実現できるのか? 望ましいのか?
第11章 資本主義3.0をデザインする
第12章 健全なグローバリゼーション
終章 大人たちへのお休み前のおとぎ話
  謝辞
  訳者あとがき
 
  人名索引
 

 グローバリゼーションそのものは新しい現象ではない。経済史では、1914年以前の長い世紀が第一次グローバル化の時代と考えられているという。世界貿易は19世紀を通じて、年4%という史上空前の増加率を記録した。標準的な説明では、この時期に三つの変化があった。まず、新しいテクノロジーによって国際的な輸送や通信に革命がもたらされた。第二に、アダム・スミスやデイヴィッド・リカードといった自由市場経済学者の考え方が時代の牽引役になった。最後に、1870年代までに金本位制が広く受け入れられたことで、国際的な資本の移動が可能になった。

 ロドリックはこの標準的な説明に、19世紀に固有の二つの重要な制度を加える。ひとつは、この時代の政策決定者たちの信念体系が一つに収斂したこと。もうひとつは帝国主義で、貿易が急拡大する強力な推進力になった。市場と政府の関係は以下のように説明されている。

市場は、政府がどんな状況に直面しても、最終的には金平価を防衛するはずだと確信していた。それが、当時の中央銀行のあるべき行動だという信念体系があったからである。金本位制の維持は、金融政策の絶対的な優先事項であった。なぜなら、金本位制が金融安定化の根本だと考えられていたからであり、金融政策に他の競合する目的(完全雇用や経済成長)がなかったからである

 だが、金本位制は、民主主義によって生み出された新たな政治的現実によって崩壊する。そして、次にグローバリゼーションが促進されるのが、第二次大戦後に始まるブレトンウッズ体制の時代だ。ブレトンウッズで取り決められた協定では、露骨な武力外交や帝国支配ではなく、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、関税と貿易に関する一般協定(GATT)という国際機関によってルールが定められ、妥協をともなうことで機能した。

その妥協とは、活発な国際通商を保障する十分な国際規律と貿易自由化の促進を許容する一方で、各国政府に自国の社会経済的要請に対応する十分な余地を与えることだった。国際経済政策は、国内の政策目標――完全雇用、経済成長、公正、社会保障、福祉国家――に貢献するものでなければならず、その逆であってはならなかった。目標は、節度あるグローバリゼーションの実現であり、ハイパーグローバリゼーションではなかったのだ

 しかし、ウルグアイ・ラウンドを経て1995年に創設された世界貿易機関(WTO)は、より深化した統合へと舵を切り、ハイパーグローバリゼーションを追求する。グローバリゼーションは避けられないものとなり、法人税減税や緊縮財政、規制緩和、労働組合の影響力低下といった共通の戦略を推し進めることが、すべての国に明確に要求されるようになる。それがいかに不公正なものであったのかは、先述した『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』にも詳しく書かれている。

 本書では、このようなグローバリゼーションの流れを踏まえて、“世界経済の政治的トリレンマ”が検証される。そこには、ハイパーグローバリゼーション、国家主権、民主主義をめぐって三つの未来が想定されている。

選択肢は、世界経済の政治的トリレンマの原理を示している。ハイパーグローバリゼーション、民主主義、そして国民的自己決定の三つを、同時には満たすことはできない。三つのうち二つしか実現できないのである。もしハイパーグローバリゼーションと民主主義を望むなら、国民国家はあきらめなければならない。もし国民国家を維持しつつハイパーグローバリゼーションも望むなら、民主主義のことは忘れなければならない。そしてもし民主主義と国民国家の結合を望むなら、グローバリゼーションの深化にはさよならだ

 著者はこの三択のなかで、民主主義と国民国家を選ぶ。新自由主義の信奉者であれば、グローバリゼーションと国民国家を取るだろう。民主主義とグローバリゼーションを取れば、グローバル・ガバナンスの方向に沿って進むことになるが、著者はこの選択に懐疑的だ。「仮にルールが民主的につくられるとしても、世界は、共通のルールによって押し込めるには国による多様性がありすぎる。グローバル・スタンダードや規制は、単に実現不可能なだけではない。それらは望ましくないのだ。国家の正統性を制約しても、グローバル・ガバナスが行き着く先は最低限の共通基準と、弱くてさほど効果のないルールを持った体制であろう」。確かにその通りだと思う。

 そうなると、グローバリゼーションを「薄く」とどめ、ブレトンウッズの妥協を21世紀に向けてアップデートするほかに選択肢はなくなる。国際貿易体制を改革し、個々の国が政策を画策する余地を広げるとか、グローバル金融を規制し、低率のグローバル税を課すとか、世界の労働市場を開放するなど、本書の着地点は、スティグリッツの『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』のそれと大きく異なるわけではない。だが、そこに至る筋道は非常に新鮮であり、状況に応じて様々な教訓を引き出すことができる。

《参照/引用文献》
『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』 ジョセフ・E・スティグリッツ●
楡井浩一訳(徳間書店、2006年)

(upload:2014/11/04)
 
 
《関連リンク》
マイケル・ウィンターボトム 『トリシュナ』 レビュー ■
グローバリゼーションと地域社会の崩壊
――『モンドヴィーノ』と『そして、ひと粒のひかり』をめぐって
■
男女の関係に集約されるグローバリゼーション
――『街のあかり』と『ラザロ‐LAZARUS‐』をめぐって
■
グレゴリー・ナヴァ・インタビュー 『ボーダータウン 報道されない殺人者』 ■
アラヴィンド・アディガ 『グローバリズム出づる処の殺人者より』 レビュー ■
コバブール&フリース 『スーツケースの中の少年』 レビュー ■
サッチャリズムとイギリス映画―社会の急激な変化と映画の強度の関係 ■

 
 
 
amazon.co.jpへ●
 
ご意見はこちらへ master@crisscross.jp