15歳のリアムとその相棒ピンボールを主人公にしたケン・ローチのイギリス映画『SWEET SIXTEEN』と19歳のシャオジイとビンビンのコンビを主人公にしたジャ・ジャンクーの中国映画『青の稲妻』。この2作品は、どちらも厳しい現実のなかで出口を求めて犯罪に走る若者たちを描く青春映画であるだけでなく、主人公を取り巻く社会や歴史的な背景に際立った共通点がある。
イギリスでは80年代にサッチャー政権によってアメリカ型の市場主義が導入され、競争意識が高まり、消費社会が拡大する一方で、弱者が切り捨てられ、貧富の差が広がった。中国では80年代にケ小平によって改革開放路線が打ち出され、市場経済の導入によって、集団としての人民の理想は揺らぎ、個人の意識が芽生え、生き残るための競争を繰り広げるようになった。2本の映画の主人公たちは、そんな政策転換によって急激な変化を遂げていく社会のなかで育ってきた。
しかし、彼らが生きている世界は、急激な変化の“中心”ではない。『SWEET SIXTEEN』の舞台は、ロンドンではなく、スコットランドのグラスゴーやグリーノックであり、『青の稲妻』の舞台は、北京や上海ではなく、山西省の大同という地方都市だ。ふたりの監督がその舞台にこだわっていることは、キャスティングにも伺える。ローチがリアム役に起用したのは、グリーノックで育ったサッカー選手であり、『青の稲妻』の主人公は、ジャ・ジャンクーが大同のバーや学生食堂でスカウトした若者たちだ。しかしどちらも、地方都市をリアルに描こうとするだけの映画ではない。ふたりの監督は、中央と地方との距離を意識し、そこから独自のドラマを紡ぎだそうとする。
『SWEET SIXTEEN』のリアムは、服役中の母親が出所したら、未婚の母である姉や相棒のピンボールと新たな生活を始めることを夢みている。しかし彼には、煙草を売る以外に仕事がない。ローチが舞台に選んだグリーノックは、造船業が下火になったあと、80年代にエレクトロニクス産業が誘致され、新たな発展を遂げるかに見えた。だが、いまではその新しい産業でも大量解雇が行われ、他の産業でも閉鎖される工場が目立ち、産業の空洞化、人口の減少が深刻になっている。
そこでリアムはドラッグで金を作ろうとするのだが、このドラッグをめぐるドラマには深い意味が込められている。注目したいのはナイフだ。ドラッグをさばくことにかけてはピンボールの方が詳しい。死んだ父親がドラッグを扱っていたからだ。そんな彼は、リアムに護身用のナイフを渡そうとする。リアムは元締めのビッグ・ジェイに気に入られ、度胸試しをされたあとで、仲間の証としてナイフを贈られる。このナイフは、裏のビジネスを象徴している。ところがリアムは、これまでの売人とはまったく違う方法でドラッグをさばきだす。
ピザ屋を隠れ蓑に使い、宅配のピザとともにドラッグをさばくのだ。人目につかない場所でストリートの連中を相手にする場合は危険がともなうが、宅配を利用すれば一般家庭に客層を広げていくことができる。リアムが、一日5、6ポンドの利益のために汗水たらして働くピザ屋の従業員を買収するとき、彼はこれまでとは違うタイプの売人になっている。そればかりかパソコンを使って、顧客の管理まで始める。するとビッグ・ジェイは、金のなる木を見つけたかのように、彼のピザ屋に出資するようになる。ふたりの関係は、元締めと売人から、資本家と優れた起業家へと変貌するのだ。 |