ケン・ローチの新作『SWEET SIXTEEN』に描かれるのは、主人公の少年リアムが16歳の誕生日を迎えるまでの2ヶ月あまりの物語である。この若者は、その2ヶ月のあいだに何度となく人生の岐路に立たされ、困難な選択を強いられる。彼は、誕生日の前日に釈放される母親、姉のシャンテルと彼女の息子のカルム、そして親友のピンボールと新たな生活を始めることを夢見ているが、それは容易なことではない。
母親は、男に寄りかからなければ生きていけないような人間になってしまっている。そんな母親を反面教師とするシャンテルは、母親と距離を置き、リアムには、自分と同じように夜学に通って、仕事につくことを勧める。しかしリアムがその忠告に従うことは、これまで常に行動をともにしてきたピンボールを見捨てることを意味する。
この物語において登場人物たちの過去は重要な意味を持っているが、ドラマのなかでそれが具体的に語られることはほとんどない。リアムの本当の父親はどうしたのか。母親と彼女の恋人である売人スタンの間に何があり、彼女が服役することになったのか。リアムとピンボールはどのようにして兄弟のように親しくなったのか。シャンテルと母親のあいだには何があったのか。シャンテルはどうして未婚の母になったのか。ヤクを扱い、ヤク中でもあったピンボールの父親はどんなふうに命を落としたのか。
われわれには、具体的な出来事から彼らの過去を知ることはできない。しかし、過去を背負った彼らの感情や想いはひしひしと伝わってくる。現在進行形のドラマの至るところに過去が滲み出してくるからだ。
親の愛に恵まれなかったリアムのなかには、幼さや純粋さとストリートを生き抜くための知恵が共存している。映画の冒頭で、望遠鏡で子供たちに星を見せ、説明をする彼の姿には純粋さが見える。スタンや祖父と悲惨な暮らしをする彼が、そこから最も遠い場所に憧れる気持ちはよくわかる。
しかし同時に彼は、子供たちから金をとり、金が足りない子供には少ししか望遠鏡を覗かせない。それは些細なエピソードのように見えるが、この幼さや純粋さと知恵のバランスが崩れていくとき、彼は泥沼に引き込まれていく。というよりも、自ら恐ろしい世界を生み出していくのだ。
リアムがスタンからヤクを横取りし、それをさばくことになったとき、ヤクの扱いについては一日の長があるピンボールは、彼に護身用のナイフを渡そうとする。それに対してリアムは、自分は頭を使うからナイフはいらないと答える。そんなリアムは三人組にボコボコにされ、ピンボールの正しさが証明されたかに見える。しかしやがて彼は、ピザ屋を隠れ蓑にすることによって、自分の正しさを証明する。人目につかない場所でストリートの連中を相手にする場合には危険がともなうが、宅配を利用すれば一般家庭に客層を広げていくことができる。リアムが、一日5、6ポンドの利益のために汗水たらして働くピザ屋の従業員を買収するとき、彼はこれまでとは違うタイプの売人になっているのだ。 |