長江哀歌
三峡好人 / Still Life


2006年/中国/カラー/113分/ヴィスタ/ドルビーSRD
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(初出:「キネマ旬報」2007年8月下旬号)

 

 

三峡ダムが生み出す求心力と疎外

 

 ジャ・ジャンクー監督の『長江哀歌』の舞台は、大河・長江の景勝の地、三峡にある古都・奉節(フォンジェ)。そこでは、三峡ダム建設という国家的な大事業が急ピッチで進められている。2000年以上の歴史を持つ古都がやがて完全に水没し、軽く100万人を越える住人が移住を余儀なくされるといえば、その規模の大きさが察せられるだろう。映画の重要な背景となるこの壮大なプロジェクトとジャ・ジャンクーがこれまでの作品で描き出してきた中国社会の変化には、深い繋がりがある。

 1979年から91年に至る時代を背景にした『プラットホーム』(00)の冒頭で、主人公たちが毛沢東を讃える劇を上演するとき、彼らは理想を共有する集団の一員である。しかし、ケ小平の改革開放政策のなかで、彼らは自由を獲得し、個人としての人生を歩みだす。それがどんな自由であったのかは、終盤で天安門事件のニュースが流れるときに明らかになる。経済的な自由はあっても、政治的な自由はない。

 そこで中央政府は、新たな課題を背負うことになる。中国が共産主義体制から自由経済へと移行し、個人主義が広がれば広がるほど、国民をひとつにしていくための新たな求心力が必要になる。『青の稲妻』(02)には、そのひとつの答えが見える。地方都市で鬱屈した日々を送る二人の若者は、女をめぐってヤクザと対立する。しかし、そんな緊張は、北京オリンピック開催決定を伝えるニュースとともに沸き起こる歓喜と喧騒にあっさりとかき消されてしまう。二人は、人々の輪に加わることもなく、呆然と立ち尽くしている。

 続く『世界』(04)にも、そんな求心力と疎外がある。北京に居ながらにして世界を回れるテーマパーク「世界公園」という舞台は、中国と世界が何の障害もなく繋がっているかのような錯覚を生む。そこでダンサーとして働く主人公は、現実の世界≠ノ憧れながら幻想の世界≠生きている。

 『青の稲妻』や『世界』の主人公たちは、変化する社会を生きているだけではなく、新たな求心力が生み出す見えない政治的な力にさらされている。

 そして、三峡ダム建設プロジェクトも、その歴史を振り返ってみると、現実的な大事業から、それ以上に求心力に価値を置くものへと変化してきたことがわかる。孫文が提唱したダム建設の構想は、中華人民共和国に引き継がれる。しかし毛沢東は、賛成派と反対派の主張を吟味し、建設を思いとどまった。それに対して、建設に向けて効力を持つお墨付きを与えたのがケ小平だ。そして、天安門事件の直後に、反対派の意見を掲載した書物『長江 長江−三峡工程論争』が発禁処分になり、ダム建設は、中央政府が背負った新たな課題の答えに変貌を遂げていく。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   ジャ・ジャンクー
Jia Zhang-Ke
撮影 ユー・リクウァイ
Yu Likwai

編集

コン・ジンレイ
Kung Jinlei
音楽 リン・チャン
Lim Giong
 
◆キャスト◆
 
シェン・ホン   チャオ・タオ
Zhao Tao
サンミン ハン・サンミン
Han Sanming
トンミン ワン・ホンウェイ
Wang Hongwei
グォ・ビン リー・チュウビン
Li Zhubin
ヤオメイ マー・リーチェン
Ma Lizhen
マーク チョウ・リン
Zhou Lin
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(配給: ビターズ・エンド、オフィス北野 )
 

 『三峡ダムと住民移転問題』には、以下のような記述がある。「中国の指導層にとっては、三峡ダム建設は、その費用/便益効果よりも、むしろ国家メンツとして、また国威発揚のシンボルとして、何が何でも完成させるという考慮が優先されてしまっているのである。そのため、一方においては、これに対する批判・反対の声を封じ込めるとともに、他方においては、「世界一のダム建設」という情報を流し続けることにより、中国国民のナショナリズムを煽り立ててきているのである」

 『長江哀歌』の世界は、こうした流れを踏まえてみると、さらに興味深いものになることだろう。この映画に登場するふたりの主人公は、どちらも人を探している。炭鉱夫のサンミンは、16年前に別れた妻と娘に会うために、妻の故郷である奉節にやって来た。シェン・ホンは、奉節に出稼ぎに出たまま2年も音信不通の夫を探す。そんな設定は、彼らの目の前に広がる風景や現実を浮き彫りにしていく。急峻にして幽玄な峡谷、開発によって失われていく自然や史跡、すでに水没した土地、代々暮らしてきた家を失う人々、次々に取り壊されていく住居、そして、派手にライトアップされた真新しい橋。

 さらに、現実をフィクションが掘り下げていく。主人公たちが探す家族は、対照的な人生を歩んでいる。サンミンの妻子の実家はすでに水没し、彼女たちは、変貌する世界の末端に追いやられ、厳しい生活を強いられている。一方、シェン・ホンの夫は、大事業に強引に食い込んで利権を手にし、贅沢三昧の生活を送り、人が変わっている。

 見逃せないのは、そんなドラマが、中国人の生活に欠かせない嗜好品である「烟(タバコ)」「酒」「茶」「糖(アメ)」というタイトルで分割されていることだ。それらの嗜好品は、日常的な次元で人と人を繋ぐものでもある。しかし、実際にこの映画に出てくる嗜好品は、彼らの孤立を象徴するか、たとえ繋がりが生まれても、やがて失われてしまう。なぜなら、上から国民をひとつにしようとする見えない政治的な力が、そうした嗜好品が生み出す繋がりを崩壊させ、あるいは経済的な繋がりに変え、主人公たちを孤立させていくからだ。つまり、四つの嗜好品は、見えない力を際立たせる役割を果たす。と同時に、主人公たちの個人的な体験から普遍的な世界を切り開いていくのだ。

《参照/引用文献》
『三峡ダムと住民移転問題』鷲見一夫・胡??●
(明窓出版、2003年)

(upload:2009/03/02)
 
 
《関連リンク》
ジャ・ジャンクー 『罪の手ざわり』 レビュー ■
『長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語』 レビュー ■
ジャ・ジャンクー 『世界』 レビュー ■
中央と地方の距離が生み出す現実と幻想と痛み
――『SWEET SIXTEEN』と『青の稲妻』をめぐって
■
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