さらに、もっと複雑な事情も浮かび上がる。彼女は一人っ子政策に違反する罰金が払えないために、何度も中絶することを余儀なくされた。そんな悲劇は、彼女の心に傷を残しただけではなく、中央政府に対する不信にも繋がっているように思える。
だからこそ、一方的に何が何でも移住させようとする政府や役人に反抗するのだろう。この映画は、ビンアイの人生を掘り下げることによって、歪んだ政治も炙り出している。
『長江哀歌』の作品評でも引用したが、『三峡ダムと住民移転問題』のなかには、以下のような記述がある。
「中国の指導層にとっては、三峡ダム建設は、その費用/便益効果よりも、むしろ国家メンツとして、また国威発揚のシンボルとして、何が何でも完成させるという考慮が優先されてしまっているのである。そのため、一方においては、これに対する批判・反対の声を封じ込めるとともに、他方においては、「世界一のダム建設」という情報を流し続けることにより、中国国民のナショナリズムを煽り立ててきているのである」
この映画は単に住民移転に対する抵抗を扱っているだけではない。ジャ・ジャンクーの『長江哀歌』と同じように、上から国民にのしかかる見えない政治的な力と、急激な社会の変化のなかで表面化してくる個人の内面世界を描き出しているのだ。
◆ビンアイの現実と三峡クルーズの世界には大きな開きがある
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