長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語
秉愛 / Bingai


2007年/中国/カラー/117分/DVカム
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(初出:Into the Wild 1.0 | 大場正明ブログ 2009年3月2日更新)

国民にのしかかる見えない力と

個人の内面世界を描きだす

 ジャ・ジャンクーの 『長江哀歌』と同じく三峡ダム建設を題材にし、ジャ・ジャンクーも賛辞を送っているのが、女性監督フォン・イェンの『長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語』、ダム建設による移住計画に抵抗するひとりの女性ビンアイを追ったドキュメンタリーだ。

  ビンアイはなぜ抵抗するのか。彼女は、ミカンやトウモロコシを栽培することで、足に障害があるために重労働ができない夫とふたりの子供を養っている。補償金をもらって街に移住したとしても食べていくことはできない。抵抗する理由は、最初はシンプルに見える。

  1996年に第一次の移住が始まったとき、彼女はまだこの映画のなかで必ずしも特別な存在ではない。しかし、それから6年後、監督のフォン・イェンとビンアイの間には特別な信頼関係が生まれ、映画はビンアイの物語になり、彼女を抵抗に駆り立てる複雑な感情が浮かび上がってくる。

  ひとつは、土地への執着だ。彼女の夢の話はなかなか面白い。その土地に20年は暮らさないと夢には出てこない。魂というのは、身体のようには簡単に動かない。若い頃に父親に言われて恋人と別れ、いまの夫のもとにいやいや嫁いだ彼女の魂は、やっとそこに根づき、夫との間に愛情をはぐくむようになった。


◆スタッフ◆
 
監督/製作   フォン・イェン(馮艶)
Feng Yan
撮影 フォン・イェン、フォン・ウェンヅ(馮文澤)
Feng Yan, Feng Wenze
編集 フォン・イェン、マチュー・ヘスラー
Feng Yan, Mathieu Haessler
音響設計 菊池信之
Kikuchi Nobuyuki
 
(配給: ドキュメンタリー・ドリームセンター )
 

  さらに、もっと複雑な事情も浮かび上がる。彼女は一人っ子政策に違反する罰金が払えないために、何度も中絶することを余儀なくされた。そんな悲劇は、彼女の心に傷を残しただけではなく、中央政府に対する不信にも繋がっているように思える。

  だからこそ、一方的に何が何でも移住させようとする政府や役人に反抗するのだろう。この映画は、ビンアイの人生を掘り下げることによって、歪んだ政治も炙り出している。

  『長江哀歌』の作品評でも引用したが、『三峡ダムと住民移転問題』のなかには、以下のような記述がある。

中国の指導層にとっては、三峡ダム建設は、その費用/便益効果よりも、むしろ国家メンツとして、また国威発揚のシンボルとして、何が何でも完成させるという考慮が優先されてしまっているのである。そのため、一方においては、これに対する批判・反対の声を封じ込めるとともに、他方においては、「世界一のダム建設」という情報を流し続けることにより、中国国民のナショナリズムを煽り立ててきているのである

 この映画は単に住民移転に対する抵抗を扱っているだけではない。ジャ・ジャンクーの『長江哀歌』と同じように、上から国民にのしかかる見えない政治的な力と、急激な社会の変化のなかで表面化してくる個人の内面世界を描き出しているのだ。

◆ビンアイの現実と三峡クルーズの世界には大きな開きがある

《参照/引用文献》
『三峡ダムと住民移転問題』鷲見一夫・胡??●
(明窓出版、2003年)

(upload:2012/02/01)
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《関連リンク》
『長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語』 公式サイト
ジャ・ジャンクー 『長江哀歌』 レビュー ■

 
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