豊かな時代、無の支配、生と死の意味
――『スカイ・クロラ』『西の魔女が死んだ』『落語娘』
    『東南角部屋二階の女』『おくりびと』をめぐって


スカイ・クロラ/The Sky Crawlers――――――― 2008年/日本/カラー/121分/ヴィスタ/ドルビーSR・SRD-EX・DTS-ES
西の魔女が死んだ/The Witch of The West Is Dead― 2008年/日本/カラー/115分/ヴィスタ/ドルビーSRD
東南角部屋二階の女/――――――――――――― 2008年/日本/カラー/104分/スタンダード/DTS-SR
落語娘/――――――――――――――――――― 2007年/日本/カラー/109分/アメリカンヴィスタ/ドルビーSRD
おくりびと/Departures――――――――――――― 2008年/日本/カラー/130分/ヴィスタ/ドルビーSRD
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(初出:「CDジャーナル」2008年8月号、夢見る日々に目覚めの映画を79)

 

 

  押井守監督の『スカイ・クロラ』の舞台は、現代に似たもうひとつの世界だ。そこでは平和が実現されているが、人々は平和や生を実感するために戦争を必要とし、巨大企業がショーとしての戦争≠提供している。主人公は、日系企業ロストック社に所属し、欧州系企業ラウテルン社と終わらない戦争を続けるキルドレ=B彼らは、思春期の姿のまま成長をやめ、戦争のためだけに存在し、空中での戦闘で死亡しない限り永遠に生き続ける。

 映画のプレスには、押井監督の以下のようなコメントがある。「この国には今、飢餓も、革命も、戦争もありません。衣食住に困らず、多くの人が天寿を全うするまで生きてゆける社会を、我々は手に入れました。しかし、裏を返せば、それはとても辛いことなのではないか――と思うのです。(中略)物質的には豊かだけれど、今、この国に生きる人々の心の中には、荒涼とした精神的焦土が広がっているように思えてなりません」

 このコメントは、ジョージ・リッツアの『マクドナルド化する社会』や『無のグローバル化』を想起させる。マクドナルド化という徹底した合理化は、人々の生活だけではなく、生や死まで管理しようとする。リッツアは、グローバル化する無≠「特有な実質的内容を相対的に欠いており、概して中央で構想され、管理される社会形態」と定義する。それは、ショッピングモールや空港、あらゆる業種のチェーンストア、あるいはATMやマニュアル化された接客法といった現象など、現代消費社会の中心に組み込まれたものを意味する。「かつてない豊かな時代は無によって支配されている。豊かになればなるほど、存在、つまり特有な内容をもち、現地で構想され、管理されるものが失われる傾向にある」

 キルドレたちの生と死は中央に管理され、彼らのなかでは、生と死、そして個人の境界が曖昧になっていく。そんな彼らは、死の絶対性や生の一回性を獲得し、自分を生きるために、戦争とは異なる次元で絶望的な戦いを繰り広げている。

 そして、無に支配された時代のなかで、意味を持つようになるのが、それ以前の時代を長く生きてきた人々の存在だろう。彼らの経験と時間は、生と死を見つめなおし、無の支配から脱するための契機となる。

 たとえば、長崎俊一監督の『西の魔女が死んだ』だ。学校に行けなくなった少女まいは、魔女≠ニ呼ばれる祖母のもとで過ごすことになる。そこには、無に支配されていない、ほとんど自給自足に近い生活がある。

 祖母はそんな生活を通して、すでにこの世にない祖父との繋がりを感じている。さらに、その祖母が、自分が死んだら、まいに知らせるという約束を守るということは、彼女が自分の死を管理していることを意味する。いまの時代のなかでそれができる彼女は、魔女に近い存在なのだ。

 池田千尋監督の『東南角部屋二階の女』では、社会人であることに疲れた3人の若者たちが、彼らの祖父母の世代にあたる人々と出会い、変化していく。

 ふたつの世代を結びつけるのは、老朽化したアパートだ。死んだ父親の借金を背負った野上は、アパートが建つ祖父の土地の売却を考えるが、祖父が首を縦に振らないため、そこに住んで説得を続けようとする。ところが、野上と一緒に会社を辞めた後輩の三崎や、お見合いで野上と知り合った涼子も転がり込んでくる。

 そんな成り行きで3人は、祖父や、戦争で死んだ祖父の弟の許婚で、アパートを経営している藤子と接点を持つ。そして、台風の日に不思議な開かずの間に踏み込み、老人たちが生きてきた時間を見出す。その結果、中央の基準で画一的に評価され、消え去るはずだったアパートは、固有の歴史を持つ世界として再生されると同時に、若者たちの新たな出発点ともなるのだ。

 中原俊監督の『落語娘』では、大学の落研で活躍し、卒業後、落語界に飛び込んだヒロイン香須美の奮闘が描かれる。伝統的な世界を背景にしたこの物語には、ファンタジーの要素が盛り込まれ、生と死のイメージが目を引く。

 ヒロインが落語に目覚めるきっかけは、寄席を愛し、不治の病にかかった叔父にあった。彼女にとって落語は、その出発点から死と深く結びついている。そんな彼女を拾った落語界の異端児・平佐は、テレビ局と組み、演じた噺家たちが次々と急死した禁断の落語≠ノ挑戦する。テレビ局は、視聴率を稼ぐために人の生死を利用する。だが、平佐と香須美は、生と死の境界で単なる伝統を越えた関係を築き上げていく。

 滝田洋二郎監督の『おくりびと』は、現代における死を正面から見つめる作品だ。チェロ奏者になる夢を諦め、妻と故郷の山形に戻ってきた大悟は、好条件の求人広告に目を留める。「旅のお手伝い」という言葉から旅行代理店を想像していた彼だったが、実はそれは「旅立ちのお手伝い」の間違いで、遺体を棺に納める納棺師の仕事だった。

 このドラマには、美人の女性に見えた遺体が、実はニューハーフの青年だったというようなユーモアも盛り込まれているが、その主張はしっかりしている。納棺をマニュアル化することは可能だし、実際にそういう傾向がある。しかし、社長の佐々木の仕事を目の前で見た大悟は、それが死者と生者を繋ぐ深い意味を持つ儀式であることを悟る。

 人の死までもが無に支配されていく時代だからこそ、彼はこの儀式に大きな意義を見出す。そして、「特有な内容をもち、現地で構想され、管理されるもの」としての納棺を継承するのだ。


―スカイ・クロラ―

 Sukai kurora
(2008) on IMDb


◆スタッフ◆

監督   押井守
脚本 伊藤ちひろ
原作 森博嗣
音楽 川井憲次

◆声の出演◆

草薙水素   菊地凛子
函南優一 加瀬亮
土岐野尚史 谷原章介
三ツ矢碧 栗山千明
マスター 竹中直人
笹倉永久 榊原良子
(配給:ワーナー・ブラザース映画)
 

―西の魔女が死んだ―

 Nishi no majo ga shinda
(2008) on IMDb


◆スタッフ◆

監督/脚本   長崎俊一
脚本 矢沢由美
原作 梨木香歩
撮影 渡部眞
編集 阿部亙英
音楽 トベタ・バジュン

◆キャスト◆

おばあちゃん   サチ・パーカー
まい 高橋真悠
ママ りょう
パパ 大森南朋
ゲンジ 木村祐一
郵便屋さん 高橋克実
(配給:アスミック・エース)

―東南角部屋二階の女―

 Tounan kadobeya nikai no onna
(2008) on IMDb


◆スタッフ◆

監督   池田千尋
脚本 大石三知子
撮影

たむらまさき

編集 大重裕二
音楽 長嶌寛幸

◆キャスト◆

野上孝   西島秀俊
三崎哲   加瀬亮
豊島涼子   竹花梓
石山清六   塩見三省
野上友次郎   高橋昌也
夏見藤子   香川京子
(配給:トランスフォーマー)
 

―落語娘―

 Rakugo musume
(2008) on IMDb


◆スタッフ◆

監督   中原俊
脚本 江良至
原作 永田俊也
撮影 田中一成
編集 矢船陽介
音楽 遠藤浩二

◆キャスト◆

三々亭香須美   ミムラ
三々亭平佐 津川雅彦
三松家柿紅 益岡徹
古閑由香里 伊藤かずえ
(配給:日活)
 
 

―おくりびと―

 Okuribito
(2008) on IMDb


◆スタッフ◆

監督   滝田洋二郎
脚本 小山薫堂
撮影 浜田毅
編集 川島章正
音楽 久石譲

◆キャスト◆

小林大悟   本木雅弘
小林美香 広末涼子
佐々木生栄 山崎努
上村百合子 余貴美子
山下ツヤ子 吉行和子
平田正吉 笹野高史
(配給:松竹)
 

《参照/引用文献》
『マクドナルド化する社会』ジョージ・リッツア●
正岡寛司監訳(早稲田大学出版部、1999年)
『無のグローバル化』ジョージ・リッツア●
正岡寛司他訳(明石書店、2005年)

(upload:2009/04/12)
 
 
 
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