パク・チャヌク監督の『サイボーグでも大丈夫』は、これまでの彼の監督作とはまったく違った作品に見えるかもしれない。主人公は、自分がサイボーグだと信じ込んでいる少女ヨングンで、ファンタジックなラブストーリーになっている。しかし、この新作とこれまでの監督作には明確な共通点がある。パク・チャヌクの作品では、登場人物が置かれた立場によって、世界がどれほど違ったものになるのかが浮き彫りにされていく。
『JSA』では、共同警備区域で起こった射殺事件の真相が、北と南でまったく異なるストーリーのなかに取り込まれていく。『復讐者に憐れみを』では、姉を亡くし、臓器密売組織に復讐しようとする弟が、愛娘に命を奪われた父親に復讐される立場にもある。『オールド・ボーイ』では、15年間監禁された男の前にある現実が、秘密を知る前と後ではまったく違ったものになる。『親切なクムジャさん』では、主人公が誘拐殺人事件の加害者と被害者双方の立場に立ち、極端な二面性を持ち、天使にも悪魔にもなる。
さらに、オムニバスの『もし、あなたなら〜6つの視線』にも注目しておくべきだろう。この作品に収められたパク・チャヌクの「N.E.P.A.L. 平和と愛は終わらない」では、あるネパール人の女性出稼ぎ労働者が韓国で実際に体験した悲劇が再現される。韓国人と見分けがつかない顔立ちで、つたない韓国語を話す彼女は、ささいな出来事から精神障害者と誤解され、その後6年以上もの間、精神病院などをたらい回しにされていた。彼女の言葉がわかる人間が現れるまで、放って置かれたのだ。この映画では、その実話が、主に彼女の視点から描かれる。
そして、『サイボーグでも大丈夫』にも、そんなパク・チャヌクの関心が反映されている。物語は、主人公の少女ヨングンが、職場のラジオ製造工場で自殺をはかり、新世界精神クリニックに収容されるところから始まる。母親が家族よりも商売を優先し、祖母に育てられてきたヨングンは、その祖母が認知症で療養所に送られてから、精神に変調をきたすようになった。彼女が自分をサイボーグだと思うようになるのは、工場の非人間的な作業ラインとも無縁ではないだろう。しかし、この映画では、原因は必ずしも重要ではない。ポイントになるのは、母親の言いつけによって、彼女がサイボーグであることを隠さなければならないことだ。
ヨングンが収容されたクリニックには、悪いことは全部自分のせいだと思って謝る男や生まれつき腰にゴム紐がついていると信じている男、勝手に話を作ってしまう作話症の女など、様々な患者がいる。
ヨングンは、愛用のラジオの指示に従って行動し、自販機や蛍光灯と会話し、ご飯のかわりに電池をなめて充電しようとする。ご飯を食べれば機械が故障すると思っているからだ。当然、彼女は衰弱していく。しかし、正常と異常の間に明確な一線を引き、正常の側から彼女を治療しようとする医師には、彼女にご飯を食べさせることはできない。
ヨングンと医者の認識には、最初から隔たりがある。彼女は自殺をはかったからそこにいるわけだが、サイボーグの立場に立てば、彼女は死のうとしたのではなく、充電しようとしたことになる。医者は、薬物療法や電気療法、安静室における強制摂取などを試みるが、彼女は、電気療法には拒絶反応を示さない。人間であれば苦痛であるはずだが、彼女には充電という認識があるからだ。 |