渇き
Thirst


2009年/韓国/カラー/133分/スコープサイズ/ドルビーデジタル
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(初出:「映画.com」2010年2月23日更新、若干の加筆)

 

 

自己と他者を隔てる多様な境界が生み出す
混沌、亀裂、深淵の先に待ち受ける運命

 

 病院で死にゆく重病の患者たちに対して、祈ることしかできない無力さに絶望したカトリックの神父サンヒョンは、アフリカで極秘に進められていた致死率100%の謎のウイルスに対するワクチン開発に協力し、自ら実験台となる。輸血された正体不明の血液によってヴァンパイアになった彼は、血への飢えを密かに重篤の患者によって満たすようになる。

 そんなときサンヒョンは、幼なじみのガンウの妻テジュに出会い、魅了されていく。夫と姑に虐げられる生活からなんとか抜け出したいテジュも彼に強く惹かれ、ふたりは欲望と快楽に溺れ、ついにはガンウの殺害を企てる。

 このテジュの登場以後の展開は、エミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』をモチーフとしているが、文学的というよりは、フィルム・ノワールといってよいだろう。

 “ヴァンパイア”と“フィルム・ノワール”はどちらも、欲望、肉体、暴力、死、影などを通してエロティシズムと深く結びついている。だから、ふたつのジャンルを巧みに絡み合わせたこの映画では、エロティシズムが際立つが、もちろん見所はそれだけではない。

 自己と他者との関係というテーマに関心を持つ監督は少なくないが、誰もパク・チャヌクのようには描かない。

 たとえば、『復讐者に憐れみを』『オールド・ボーイ』『親切なクムジャさん』という“復讐三部作”では、復讐する者とされる者という、お互いに分かり合えない二者、その双方の憎しみと痛みが大胆なアプローチと強烈な描写で執拗に掘り下げられていく。

 『サイボーグでも大丈夫』には、自分がサイボーグだと信じる少女が登場するが、彼女に精神科の治療は通用しない。彼女を生かすためには、サイボーグとしての性能を向上させ、人間に近づけるしかない。

 厳格に自己を律するカトリックの神父がヴァンパイアになるという『渇き』の発想は、アベル・フェラーラの世界を連想させるが、これは衝動の臨界における覚醒を描き出す作品ではない。自己と他者に向けられた鋭い眼差しが、独自の世界を切り開いていく。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/製作   パク・チャヌク
Park Chan-wook
脚本 チョン・ソギョン
Jeong Seo-Gyeong
原案 エミール・ゾラ
Emile Zola
撮影 チョン・ジョンフン
Chung Chung-hoon
編集 キム・サンボム、キム・ジェボム
Kim Sang-beom, Kim Jae-boem
音楽 チョ・ヨンウク
Jo Yeong-wook
 
◆キャスト◆
 
サンヒョン   ソン・ガンホ
Song Kang-ho
テジュ キム・オクビン
Kim Ok-bin
ガンウ シン・ハギュン
Shin Ha-kyun
ラ夫人 キム・ヘスク
Kim Hae-suk
ヨンドゥ オ・ダルス
Oh Dal-su
車椅子の老神父 パク・イナン
Park In-hwan
スンデ ソン・ヨンチャン
Song Young-chang
-
(配給:ファントム・フィルム)
 

 神父は、虐げられている人妻に救いの手を差しのべているのか、彼女を純粋に愛しているのか、肉体の快楽に溺れているのか、本能に抗えないのか。人妻は、神父を愛しているのか、利用しているだけなのか。ヴァンパイアになることで、解放されるのか、虜になるのか。彼らの渇きを潤すものとは何なのか。

 その答えは、自己と他者を隔てる多様な境界が生み出す混沌、亀裂、深淵に呑み込まれていく。そして、運命の陽が昇る一瞬に、境界が消え去るともいえる。


(upload:2013/07/05)
 
 
《関連リンク》
『もし、あなたなら〜6つの視線』 レビュー ■
『オールド・ボーイ』 レビュー ■
『親切なクムジャさん』 レビュー ■
『サイボーグでも大丈夫』 レビュー ■
『イノセント・ガーデン』 レビュー ■

 
 
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