一方、木村文洋監督の『へばの』は、日本のなかにそんな境界を見出し、二元論を超えようとする。
舞台は核燃料再処理工場がある青森県六ヶ所村。核燃料再処理工場とともに生きてきた父親と暮らす紀美と工場で働く治は、結婚を間近に控え、子供を作るという平凡な幸せを思い描いていた。しかし、治が工場で作業中にプルトニウムを吸引し、内部被爆に襲われる。この映画では、そんな事件をきっかけに、男と女の生き方や世界観の違いが浮き彫りにされていく。
男たちのなかでは、地元と東京の間に境界線が引かれる。治の気持ちはドラマのなかで大きく揺れるが、少なくとも以前と同じ生活は選択肢にない。地元で紀美から逃げ、現実から目を背けて別の人生を歩むか、紀美と東京に出るかだ。紀美の父親は、娘とふたりで東京に出て、新しい生活を始めようと考える。
さらに、もうひとつの出来事が、地元と東京の境界をさらに際立たせる。工場で再び同じような事故が起こり、それが引き金になった東京へのテロが示唆される。男たちはみな、ここか東京かの二元論にとらわれている。
これに対して、紀美は異なる選択をする。この映画ではセックスが治と紀美の人生の分岐点になっている。冒頭のセックスにはささやかな幸福がある。事件の後のセックスは、治の生き方を変える。最後のセックスは車のなかで行われる。治にとってそれは、彼らが東京に向かい、新たな生活を始めることを意味する。だが、紀美はここにいることを選択する。彼女が本能で選び取った「ここ」とは、「東京」に対する「ここ」ではなく、明らかにそんな二元論を超えたところにある。
ちなみにこの『へばの』は、2008年、第32回カイロ国際映画祭「「International competition for Digital Feature Films」」部門において、シルバー・アワード(銀賞)を受賞している。 |