二元論に縛られた男たち、二元論を超える女たち
――『シリアの花嫁』と『へばの』をめぐって


シリアの花嫁/The Syrian Bride――― 2004年/イスラエル=フランス=ドイツ/カラー/97分/シネマスコープ/ドルビーSRD
へばの/Hebano/goodbye―――――― 2008年/日本/カラー/81分/4:3/DVCAM/ステレオ
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(初出:web-magazine 「e-days」Into the Wild 2009年2月5日、若干の加筆)

 

 

 エラン・リクリス監督の『シリアの花嫁』の舞台はゴラン高原のマジュダルシャムス村。主人公はイスラムの少数派とされるドゥルーズ派の一家で、次女モナが結婚式を迎える一日が描かれる。しかしそれは普通の結婚式ではなく、喜びと哀しみが複雑に絡み合う儀式となる。この一家を含めて、そこに生きる人々が特殊な状況に置かれているからだ。

 彼らが暮らす土地はもともとシリア領だったが、1967年の第3次中東戦争でイスラエルに占領されることになった。この地域の住人の多くはイスラエル国籍を取得しようとはせず、イスラエルがシリアを承認していないことから、彼らは“無国籍者”となり、境界線の向こう側にいる肉親との行き来さえもできなくなっている。モナは向こう側に暮らす親戚と結婚する。そして、一度境界線を越えてシリア側に行けば、二度と家族のもとに帰ることはできない。

 この映画はそんな状況だけでドラマになるが、見逃せないのは、状況に対する男と女の姿勢が意識的に対置されていることだ。シリア・ナショナリストで、投獄経験もある花嫁の父ハメッドは、保護観察中の身でデモへの参加を禁じられているにもかかわらず、娘の結婚式の日に、シリアの新大統領を支持するデモに参加しようとする。一家の家にやって来た村の長老たちは、かつて掟を破ってロシアに渡った長男を迎え入れたら縁を切るとハメッドに迫る。男たちは敵か味方かの二元論で生きている。

 だが、女たちは違う。長女のアマルは、イスラエル北部のハイファ大学に入学しようとしている。それは、アラビア語を母語とする彼女が、ヘブライ語を受け入れ、二元論とは異なるかたちで前に進もうとすることを示唆する。これは、リクリス監督とともに脚本を手がけているスハ・アラフが作り上げたキャラクターに違いない。プレスによれば、これが初の長編映画の脚本となる彼女は、イスラエルのミリヤのパレスチナ人家庭に生まれ、ハイファ大学で哲学、文学の博士号を取得している。

 シリア側に渡るために家族と境界線にやって来た花嫁のモナは、向こう側で花婿が待っているにもかかわらず、立ち往生を余儀なくされる。イスラエル側とシリア側の係官が、国家と国境の認識をめぐって対立し、一歩も譲らないからだ。そして映画のラストでモナは思わぬ行動をとる。そんな彼女は、二元論を超えた場所に立っていると見ることができるだろう。


―シリアの花嫁―

 The Syrian Bride
(2004) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   エラン・リクリス
Eran Riklis
脚本 スハ・アラフ
Suha Arraf
撮影監督 ミヒャエル・ヴィースヴェク
Michael Wiesweg
編集 トヴァ・アシェル
Tova Ascher
音響 シリル・モラン
Cyril Morin

◆キャスト◆

アマル   ヒアム・アッバス
Hiam Abbass
ハメッド マクラム・J・フーリ
Makram J. Khoury
モナ クララ・フーリ
Clara Khouly
マルワン アシュラフ・バルホウム
Ashraf Barhoum
ハテム エヤド・シュテイ
Eyad Sheety
イヴリーナ イヴリン・カプルン
Evelyne Kaplun
(配給:シグロ、ビターズ・エンド)
 

―へばの―

 Hebano
(2009) on IMDb


◆スタッフ◆
 
監督/脚本   木村文洋
プロデューサー 桑原広考
撮影 高橋和博
編集 桑原広考、木村文洋
音楽 北村早樹子

◆キャスト◆

對馬紀美   西山真来
戸澤治 吉岡睦雄
  長谷川等
  工藤佳子
(配給:team JUDAS)
 
 

 一方、木村文洋監督の『へばの』は、日本のなかにそんな境界を見出し、二元論を超えようとする。

 舞台は核燃料再処理工場がある青森県六ヶ所村。核燃料再処理工場とともに生きてきた父親と暮らす紀美と工場で働く治は、結婚を間近に控え、子供を作るという平凡な幸せを思い描いていた。しかし、治が工場で作業中にプルトニウムを吸引し、内部被爆に襲われる。この映画では、そんな事件をきっかけに、男と女の生き方や世界観の違いが浮き彫りにされていく。

 男たちのなかでは、地元と東京の間に境界線が引かれる。治の気持ちはドラマのなかで大きく揺れるが、少なくとも以前と同じ生活は選択肢にない。地元で紀美から逃げ、現実から目を背けて別の人生を歩むか、紀美と東京に出るかだ。紀美の父親は、娘とふたりで東京に出て、新しい生活を始めようと考える。

 さらに、もうひとつの出来事が、地元と東京の境界をさらに際立たせる。工場で再び同じような事故が起こり、それが引き金になった東京へのテロが示唆される。男たちはみな、ここか東京かの二元論にとらわれている。

 これに対して、紀美は異なる選択をする。この映画ではセックスが治と紀美の人生の分岐点になっている。冒頭のセックスにはささやかな幸福がある。事件の後のセックスは、治の生き方を変える。最後のセックスは車のなかで行われる。治にとってそれは、彼らが東京に向かい、新たな生活を始めることを意味する。だが、紀美はここにいることを選択する。彼女が本能で選び取った「ここ」とは、「東京」に対する「ここ」ではなく、明らかにそんな二元論を超えたところにある。

 ちなみにこの『へばの』は、2008年、第32回カイロ国際映画祭「「International competition for Digital Feature Films」」部門において、シルバー・アワード(銀賞)を受賞している。


(upload:2009/06/25)
 
 
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