この戦争の記憶を失ったのは、アリ・フォルマンだけではない。イスラエルを代表する作家アモス・オズがこの戦争について書いた『贅沢な戦争 イスラエルのレバノン侵攻』には、以下のような記述がある。
「そしてやがてレバノンからの撤退が始まり、引きつづいて記憶喪失症がひろがった。シャロンおじさんは辞任せざるをえず、参謀総長のラフルおじさんもまた野に下り、ベギンじいさんはひたすら身を縮めた」 「レバノン戦争のことは何もかも、みんなで忘却の穴倉に押し込めてしまった。約700人の兵士が戦死したのにたいして、敵の戦死者は数千にのぼった。また一万人以上の市民が犠牲になったといわれる。この悪事をしかけた側から見ても「罪のない人」が、である」
そういう意味では、この映画のアプローチは、ミヒャエル・ハネケ監督の『隠された記憶』に近い。『隠された記憶』では、フランス人の人気キャスターのもとに謎のビデオが送りつけられ、彼が忘却した記憶が不安とともに蘇ってくる。それは必ずしも個人の記憶ではない。
モロッコ出身の作家タハール・ベン・ジェルーンが書いた『歓迎されない人々』(晶文社)では、「フランスが消し去りたいと願っている思い出」が掘り起こされる。1961年、マグレブ人に対する夜間外出禁止令に抗議するデモが、当局の激しい弾圧にあい、多くの死傷者が出た。だがそれから20年後、迫害と殺戮の悲劇の記憶は、大多数の人々の脳裏から消し去られていた。『隠された記憶』の物語は、そんな国家や国民の忘却を象徴している。
あるいは、ここで女性作家ナンシー・ヒューストンの『時のかさなり』を思い出しておくのも無駄ではないだろう。この小説では、時間を遡りながら、四つの時代、四世代に渡る家族の物語が綴られる。そのうちの<第2章 ランダル、1982年>では、イスラエルを舞台にレバノン侵攻とこの戦争が招いたパレスチナ難民キャンプの大量虐殺事件=サブラ・シャティーラの虐殺が鍵を握り、最終章の<第4章 クリスティーナ、1944年〜1945年>では、ナチス支配のドイツへとさかのぼる。このふたつの章で、ユダヤ人は加害者と被害者になり、そのアイデンティティが掘り下げられていく。
ハコボ・ティママンやアモス・オズが書いているように、ベギン首相は、アラファトをヒトラーに重ねたり、ホロコーストを引き合いに出すことによって、レバノン侵攻を正当化しようとした。しかし、多くの兵士や国民のなかでは、ふたつのものがそんなふうに関連付けられることはなかった。
アリ・フォルマン監督の両親は、ホロコーストを生き延びたポーランド人だった。そしてこの映画のなかでは、臨床精神科医の親友が、アリのなかで両親がアウシュヴィッツにいたと知ったときの恐怖とレバノンで起こったサブラ・シャティーラの虐殺の恐怖が結びついていると分析する。つまり、被害者が加害者となってしまったことが、彼の心に深い傷を残しているのだ。
ハコボ・ティママンは『レバノン侵攻の長い夏』の最後に、1982年9月21日の時点で、以下のように書いている。「世界中に散らばるユダヤ人だけが私たちのため、いまなんらかの手を打つことができると思う。私たちの道義心と文化的伝統の価値――これらの価値はいまイスラエルで、狭量さとイスラエル国粋主義のために踏みにじられているが――を維持している在外ユダヤ人は、ユダヤ人による法廷を開き、ベギンやシャロン、エイタン、さらにはイスラエル軍の参謀本部の全員にたいし、判決を下すべきだ。こうすることだけが、イスラエルを破壊している病から救いだし、おそらくはイスラエルの将来を守るための手段となりうるのだ」
レバノン侵攻が教訓になっていれば、イスラエルや中東の未来も違ったものになっていたかもしれない。『戦場でワルツを』は、単なる反戦映画ではない。アリ・フォルマンとその戦友たちの記憶を頼りに、そんな重要な分岐点まで立ち戻り、見直そうとするところに大きな意味があるのだ。 |