時のかさなり / ナンシー・ヒューストン
Lignes de faille / Nancy Huston (2006)


2008年/横川晶子訳/新潮社(新潮クレスト・ブックス)
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(初出:Into the Wild 1.0 | 大場正明ブログ 2009年8月7日更新)

歴史、アイデンティティ、子供の眼差し
四世代にわたる家族の物語

  ナンシー・ヒューストンの『時のかさなり』は、非常に緻密で巧みに構成された物語の世界に引き込まれ、先に進まずにはいられなくなる。 <第一章 ソル、2004年><第二章 ランダル、1982年><第三章 セイディ、1962年><第四章 クリスティーナ、1944年〜1945年>という四章からなるこの小説では、四世代にわたる家族の物語が、世代を遡るかたちで綴られていく。しかもいずれの章も、語り手が6歳のときの物語になっている。

  物語の背景も興味深い。2004年のアメリカを舞台にした第一章の背景には、イラク戦争後の混乱がある。1982年のイスラエルを主な舞台にした第二章には、レバノン戦争やパレスチナ難民キャンプの大量虐殺事件がある。1962年のカナダとアメリカを舞台にした第三章では、それほど前面に出てくることはないものの、キューバ危機に言及される。そして、1944年〜1945年のドイツを舞台にした第四章には、ナチスの支配がある。

 この小説では、ナチスの機関レーベンボルン(生命の泉)、あるいは大戦中に25万人もの子供がナチスに拉致された事件が重要な要素になっているが、訳者あとがきによれば、ヒューストンがそれを知ったことが作品執筆のきっかけになっているという。

 6歳の子供は、家族の関係や自分を取り巻く世界の状況を理解しているわけではない。しかし、彼(彼女)が語る断片的なエピソードは、世代を遡ることによって解き明かされていく謎の伏線になる。

  第一章には、四世代がすべて登場する。少年ソルの父親ランダルが働く会社はイラク戦争に協力している。祖母のセイディは、ランダルの仕事をナチス呼ばわりし、痛烈に批判する。曾祖母で歌手のエラ(クリスティーナ)と祖母の関係は、祖母が『おやすみ、ナチスの子供たち』という本を出版したことで悪化した。しかし、そんな一族はこの章の終盤でミュンヘンを訪れ、エラと姉のグレタが大戦以来の再会を果たすことになる。

  子供にはその背景が見えないが、逆に子供だから見える世界もある。この小説では言語が重要な役割を果たす。たとえば第2章で、母親のセイディと夫と息子のランダルは、セイディの強い意向でアメリカからイスラエルに渡る。言葉ができないランダルの父親はそこで孤立していくが、ヘブライ語を習得したランダルは、自分だけの関係を築き、現実に触れ、心に深い傷を負うことになる。


◆目次◆

第一章   ソル、二〇〇四年
   
第二章 ランダル、一九八二年
   
第三章 セイディ、一九六二年
   
第四章 クリスティーナ、一九四四〜一九四五年
   
  訳者あとがき

 

  第四章では、自分がドイツ人一家の養女であることを知ったクリスティーナが、新たに養子に迎えられたポーランド人の兄と特別な関係を築き、ポーランド語を習得していく。そしてそのことがやがて、"言葉を使わずに歌う"という独特の唱法に繋がっていく。

  そんなエピソードが示唆するように、この物語では、アイデンティティが複雑に揺れていく。第一章でソルは、セイディおばあちゃんだけが、みんなと違って、正統派のユダヤ教徒だと語る。第二章でランダルは、ユダヤ人として生まれたのはパパの方なのに、ママ(セイディ)の方がユダヤ人に強い関心を持っていると語る。

 第三章でセイディは、ある出来事をきっかけに、ママがドイツ人であることを知り、激しいショックを受ける。そんなふうにしてヒューストンは、6歳の子供を語り手にしながら、アイデンティティとはなにかを鋭く掘り下げていく。

  この小説の読後感は決して爽やかなものではないが、それは第一章のソルの存在によるところが大きい。他の三人の語り手が、かたちはどうであれ他者と向き合うことによって自分の人生を選択していくのに対して、ソルだけが、9・11以後、イラク戦争後の時代のなかで、母親が世界一安全な家と形容するような、セキュリティが行き届いたサバービアに暮らし、すべての他者を見下す邪悪な怪物になろうとしているからだ。


(upload:2011/12/26)
 
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