奇しくも時期を同じくして公開されるデヴィッド・クローネンバーグ監督の『コズモポリス』とレオス・カラックス監督の『ホーリー・モーターズ』には、注目すべき共通点がある。二本の映画では、それぞれにニューヨークとパリを舞台に、白塗りのリムジンに乗った男、というよりもある意味でリムジンと一体化した男の一日が描かれる。
ドン・デリーロの同名小説を映画化した『コズモポリス』に登場する28歳のエリック・パッカーは、投資会社を経営する大富豪で、そこがオフィスであるかのように巨大なハイテクリムジンから莫大なマネーを動かしている。そんな彼はなぜか2マイル先にある床屋を目指し、破滅へと引き寄せられていく。
一方、カラックスにとって13年ぶりの新作長編となる『ホーリー・モーターズ』の主人公オスカーの仕事は少々謎めいて見える。彼が乗るリムジンの座席にはその日のアポの内容が記載されたファイルが置かれている。ただしアポといっても、人と会ったり、会合に出たりするのとは違う。
オスカーは、リムジンに装備された衣装やカツラ、メイク道具などを駆使して、ファイルで指定された人物になりきり、指定された場所で指定された時間だけその人物を演じる。このある一日に彼は、銀行家、物乞いの老女、殺人者、死にゆく老人など11人の人物に次々と変身していく。
ふたりの主人公に起こることはまったく違うが、この二本の映画が掘り下げているテーマは非常に近いところにあるといえる。
『コズモポリス』はかなり原作に忠実に作られている(但し、『コズモポリス』試写室日記で触れたように、エリックをつけ狙う殺人者の告白は切り捨てられている)。そこで、まずは原作からテーマを確認しておきたい。それは、『ホーリー・モーターズ』にも通じているところがあるので、押さえておいても無駄ではないだろう。
デリーロの原作を読むと、前半部分から主人公エリックが、共通するあるものに反応していることに気づく。たとえば以下のような文章だ。
「彼らは高まっていくクラクションの中で座っていた。この騒音には何かがあった――敢えて彼が滅却したいと思わないような何か。それはある根本的な痛みの音、原初的な響きがするほど古い哀歌」
「運転席にいるシーク教徒は指が一本なかった。エリックは失われた指の付け根を見つめた。深刻で感動的な代物――歴史と苦痛を抱えた身体の欠損」
「なぜささくれはささくれと呼ばれるのだろう? これは中期英語アグネイルの変形。エリックはたまたまそれを知っていた。この言葉は苦悩や苦痛を意味する古英語に由来する」
この三つの引用に共通しているのは“痛み”だ。ではエリックはなぜ痛みに反応するのか。それはテクノロジーや生身の身体に対する彼の考え方に関係している。彼はこのように考えている。
「彼は生身の体でここにいた――理論上は捨て去りたいと思っている構造体で。そう思いながら、彼はウェイトトレーニングで計画的に体を鍛え上げていた。彼は体を余分なもの、交換可能なものとして考えたかった。体は情報の波の列に変換可能だ。それこそ、彼が楕円形のスクリーン上で見ていたもの」
「進化のステップ――神経系統をデジタル・メモリー上に実際に配置するだけでよい。それはサイバー資本の大飛躍、人間の経験を拡張し、無限へと近づける――企業の成長と投資のための媒介、利益の蓄積と活発な再投資のための媒介として」
エリックの理想は、生身の身体を捨て去り、自分が情報に変換されることだ。しかしそう望むほどに、彼は痛みに惹きつけられ、そしてついには痛みによって覚醒する。
「しかし、彼の痛みは不滅への夢を妨げていた。それは彼の特異性を決定づけるものだ」 「彼は自分を知るようになった。痛みを通して、変換しようのない自分を知った」
クローネンバーグはそんなテクノロジーと身体の関係を、巧みにハイテクリムジンを舞台にしたドラマに集約している。原作には彼が暮らすタワーについても印象的な描写があるが、映画ではリムジンだけを意識させる。原作ではエリックと愛人ディディのセックスは彼女の部屋で行われるが、映画では彼らの関係もリムジンの世界に取り込まれている。
エリックはなにかをするためにリムジンを降りる必要がない。セックスも、主治医による診察もすべてそのなかですますことができる。だから本来なら、大統領のニューヨーク訪問によって渋滞している街を、のろのろ運転で床屋に向かう必要などない。なのになぜ床屋に向かうのか。それは、子供の頃に通っていた店だからだ。記憶には様々な喪失の痛みがつきまとうものだろう。
デイヴィド・B・モリスは『痛みの文化史』のなかで、以下のように書いている。
「もし将来誰かが、簡単に扱えて値段も安く、何の副作用もなく一生痛みを免れることができるような錠剤を発明したなら、私たちはただちに、人間であることの意味をあらためて捏造する作業に取りかからなければならないことだろう」
エリックにとってリムジンはそんな錠剤に等しい。しかし、彼はリムジンのなかで人間の意味を捏造することをやめ、根源的な痛みに魅了され、破滅とも解放ともいえる運命をたどることになる。 |