スプーク・カントリー / ウィリアム・ギブスン
Spook Country / William Gibson (2007)


2008年/浅倉久志訳/早川書房
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(初出:「STUDIO VOICE」 2009年3月号)

 

 

チャンネルを横断し、個人と世界の関係を見直す

 

 ウィリアム・ギブスンは、80年代と90年代の三部作に続く第七長編『パターン・レコグニション』で転換を図り、近未来ではなく9・11以後の現在を背景とするようになった。その結果として先端テクノロジーやガジェットが生み出すSF色は希薄になったが、ハードボイルド的なseek and find≠フ構造から新たな可能性が切り開かれつつある。21世紀のギブスン作品では、主人公たちが最終的に到達する場所や明らかにする真相よりも、そこに至る過程が大きな意味を持つ。

 『パターン・レコグニション』で、ケイスが謎のフッテージの作者に出合い、トラウマを共有することは、感動的ではあるが、それが物語の核になっているわけではない。より重要なのは、フッテージが、インターネットやグローバリゼーション、石油資本、ロシアン・マフィア、諜報活動の歴史と結びつき、「共有神秘体験」や「シャーマニズム」、あるいは「最高に巧妙なマーケティング方式」になることだろう。ケイスを巻き込むこの複雑なねじれから時代が見えてくるからだ。

 新作の『スプーク・カントリー』では、そんなアプローチがさらに突き詰められている。ケイスの場合は、雇い主の思惑がどうであれ、自分が追っているものは明確になっていた。3人の人物の視点が交錯していくこの小説では、3人とも自分が何を追い、どんな役割を果たしているのかを理解していない。

 かつてカルト的な人気を誇ったバンドのヴォーカリストで、ジャーナリストへの転身を図るホリスは、新雑誌の記事を書くために、天才的なハッカーにして臨場感アートのプロデューサーであるボビーを追うが、雇い主が関心を持っているのは彼の裏の仕事だ。キューバ系中国人で、一族が他人の犯罪の便宜を図る非合法世話人の集団を形成しているチトーは、機密情報が入ったiPodをある老人のもとに届ける使命を負っている。麻薬中毒でロシア語に熟達しているミルグリムは、政府の捜査官らしき男ブラウンに拘束され、彼が監視しているチトーの通信内容をチェックしている。

 目的もわからないまま行動し、宙吊り状態にある彼らの世界。それぞれの世界の隔たりが、ここではチャンネル≠ニいうキーワードを通して表現される。ブラウンから麻薬を与えられ、中世ヨーロッパのメシア信仰に関する書物を読み耽るミルグリムは、中世についてこう考える。「当時の組織宗教は、たんなる信号対雑音比の問題であり、媒体とメッセージを兼ねた、一チャンネルだけの宇宙だった」。ボビーは、チャンネルをテレビ放送の末路やブログのリンクにたとえ、裏返しになったサイバースペースで、「われわれが歩きまわってる世界が、チャンネルになる」と語る。


◆プロフィール◆

ウィリアム・ギブスン
 1948年、サウスカロライナ州コンウェイ生まれ。19歳のときに徴兵を拒否してカナダへ移住。ブリティッシュ・コロンビア大学で英語学を専攻した。大学在学中から小説を書きはじめ、1977年にデビュー、1984年に発表した長編第一作『ニューロマンサー』は、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、フィリップ・K・ディック記念賞などを受賞、サイバーパンクSFの代表的作家となる。つづく第二作『カウント・ゼロ』(1986)、第三作『モナリザ・オーヴァドライヴ』(1988)で、電脳空間三部作を完結させる。また、サイバーパンクのもうひとりの立役者ブルース・スターリングとの共作『ディファレンス・エンジン』(1990)を発表、同書はスチーム・パンクの代表的作品と評された(以上、早川書房刊)。
 さらには、橋上空間三部作と呼ばれる『ヴァーチャル・ライト』(1993)、『あいどる』(1996)、『フューチャーマチック』(1999)を発表し、現代社会を描く新たなギブスン作品として好評を博した。
 2003年、広告業界の大物ヒュベアトス・ビゲンドが経営するブルー・アント社に頼まれて仕事をするケイス・ポラードを描いた『パターン・レコグニション』を発表、さらに進化をとげたギブスンの作品として話題を呼んだ。
 そして、4年ぶりの新作として発表した本書は、9・11以後の現代社会を描いた刺激的な小説として高い評価を得ている。
(『スプーク・カントリー』より引用)

 
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 主人公たちは、無数のチャンネルからなる混沌とした世界のなかにある。古いカレンダーのなかに世界貿易センタービルの写真を見出したミルグリムは、このように感じる。「いまそれを見ると、強烈なほど異様だ。モノリスに似たそのSF的空白は非現実的で、ミルグリムの目には、これまで出会ったあらゆるイメージのなかへフォトショップで転写されたように見える」

 9・11が原因で重い病気になった母親を持つチトーは、サンテリアを崇拝し、神に導かれて危険な使命を果たしていく。ホリスの運命は、ヴォーカリストだったもうひとりの自分と無縁ではない。彼女の雇い主は、ヴォーカリストのホリスのポートレートが現在の彼女に及ぼす力を、投射された思考形態のひとつ、念霊というチベット神秘主義から生まれた用語で説明する。ボビーやチトーを操る老人は、有名人であるホリスは歴史的記録の一部を形成していると語る。そんな彼女は、臨場感アートによって路上に出現するリバー・フェニックスの死体と繋がりを持っているともいえる。

 84章からなるこの小説を読むことは、チャンネルを横断し、チャンネルを通して現在、そして個人と世界の関係を見直すことを意味している。


(upload:2009/05/23)
 
 
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