肉体や時間から解放される進化と“痛み”という人類の歴史の痕跡
――『アッチェレランド』、『ディアスポラ』、『痛みの文化史』をめぐって


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(初出:Into the Wild 1.0 | 大場正明ブログ)


 

 チャールズ・ストロスの『アッチェレランド』は、21世紀を舞台に、加速していく人類の進化、ポストヒューマンの行方を描き出す壮大な物語であり、マックス家の三世代にわたる年代記でもある。物語は、2000年代から10年紀ごとに区切られ、3部、9章で構成されている。

 物語の始まりは、現在の延長にあるようなサイバーパンクの世界だが、そこにはいろいろと皮肉な変化が盛り込まれている。ロシアは共産主義体制に逆戻りして、新生ソビエト社会主義共和国になっている。映画『長江哀歌』や『長江に生きる』の題材になっていた三峡ダムは決壊して大災害を引き起こしている。宇宙開発の停滞期、月面着陸レースは、インドと中国の間の争いになっている。日本では農村という農村が過疎化し、都市部に吸い取られている。

 しかし第2部の2030年代に宇宙時代が再び幕を開け、地球外生物からの信号がキャッチされ、木星圏の開発が進んでいく。そして人類は次第に肉体や時間から解放されていく。天才、美貌、長命が基本的人権と考えられるようになる。

 人間が仮想現実下の生活に移行すれば、嘔吐、咽喉痛、疲労、痙攣などは、それを経験するかどうかを選べるようになる。肉体の死も、死体の分解もない。生身の肉体のみの者は、ポストヒューマンの各種系統のなかで絶対的な少数派になる。ポストヒューマンも唯一の中心ではなくなる。自然自己組織化したAIや非人類の哺乳類、高知能種たちが、ヒトと同等の権利を要求するからだ。

 そして終盤ではこのような世界になっている。「依然として存続するヒトと認識可能な存在は、いまや直径百光年の範囲に広まり、中身をくりぬいた小惑星や、シリンダー状の自転ハビタットに住む

 グレッグ・イーガンの『ディアスポラ』のときもそうだったが、筆者はこういう物語を読むと、デイヴィド・B・モリスの『痛みの文化史』のことを思い出す。

 モリスは、痛みが恋愛と同じく人間の最も基本的な体験に属し、私たちのありのままの姿を明らかにすると考える。しかし、科学や医学の進歩、あるいは機械化されたポスト工業化社会のなかで、人の精神と肉体は分断され、痛みは拒否され、その意味を失いつつある。そこで彼は本書で、もう一度痛みを人間化し、取り戻そうとする。

 
《データ》
『アッチェレランド』
チャールズ・ストロス●
酒井昭伸訳(早川書房、2009年)
『ディアスポラ』グレッグ・イーガン●
山岸真訳(早川書房、2005年)
『痛みの文化史』
デイヴィド・B・モリス●
渡邉勉・鈴木牧彦訳(紀伊國屋書店、1998年)
 
 

 人が痛みを感じなくなったどうなるのか。本書にはひとつの例として、エドワード・H・ギブソンというボードビルの芸人が紹介されている。彼は痛みを感じなかったので、身体に50〜60本の針を刺す芸で活躍した。だが彼にとって痛みから解放されている生活は、結局、意味のある利益をもたらさず、多かれ少なかれ何事にも関心をもたなくなってしまったという。

 この例は誤解を招くかもしれないので、補足しておくと、モリスがこだわっているのは、肉体に限定された痛みではない。それは主に医学の進歩によって明確な境界があるような錯覚が生み出されているだけで、本質的な痛みはそんなふうに分けることはできない。

 そのモリスはこのようにも書いている。「もし将来誰かが、簡単に扱えて値段も安く、何の副作用もなく一生痛みを免れることができるような錠剤を発明したなら、私たちはただちに、人間であることの意味をあらためて捏造する作業に取りかからなければならないことだろう

 モリスが取り戻そうとする痛みは、『アッチェレランド』や『ディアスポラ』を読むと、その意味がより鮮明になるように思う。

 たとえば『ディアスポラ』では、人間がその存在をソフトウェア化し、肉体を捨て去り、仮想空間に《移入し》て、ポリスと呼ばれる都市に暮らしている。では、肉体や時間から解放されたらどうなるのか。

肉体人のものを大まかにモデルにした精神を持つ市民は、気移りをまぬがれない。最重視している目標や価値に対する関心でさえ、時間とともに衰えてしまうのだ。柔軟性は肉体人からうけ継がれた最重要事のひとつだが、《移入》前の寿命と計算的に等価な期間を一ダース送ったあとでは、もっとも頑強な人格でさえ、統一を失ってエントロピー的無秩序状態になりがちだった

 モリスは、痛みと時間の関わりにも言及している。「痛みは決して単なる感覚ではなく、時間に拘束されている大脳が解釈する何かであり、時間に拘束されている心が意味を明らかにする何かである。すなわち、独特な人類の歴史の痕跡を備えた、独特な人類の加工品である

 『アッチェレランド』を読み、『ディアスポラ』を振り返り、痛みに対するモリスの視点がさらに興味深いものになった。


(upload:2013/01/17)
 
 
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