■マチスモに対する抵抗としてのクジ――『スエリーの青空』
カリン・アイヌー監督のブラジル映画『スエリーの青空』は、2年前に恋人と退屈な田舎町を飛び出したヒロインのエルミーラが、赤ん坊を抱いて帰郷し、祖母と叔母が暮らす実家に身を寄せるところから始まる。
彼女は、赤ん坊の父親と故郷で再出発するはずだったが、いくら連絡をとっても彼が戻ってくることはなかった。裏切られた彼女は、故郷からも彼からも遠い町に向かうために、大胆な行動に出る。スエリー≠ニ名乗り、自分の身体を商品にしたクジを売りまくるのだ。
このヒロインは、故郷で昔の恋人と再会する。彼は彼女を心から受け入れる。なのになぜそんな行動に出るのか。
クジは、手っ取り早く金を稼ぐことだけを意味するのではない。同性愛者の叔母や売春婦の友人。エルミーラを取り巻く女たちは、マチスモ(男性優位主義)の社会のなかで抑圧されている。彼女がクジで男たちから金を巻き上げることは、そんな社会に対する抵抗を意味してもいるのだ。
■独裁政権に対する抵抗としての中絶――『4ヶ月、3週と2日』
昨年のカンヌ映画祭でパルムドールに輝いたクリスティアン・ムンジウ監督の『4ヶ月、3週と2日』からも、女の抵抗が浮かび上がってくる。この映画では、チャウシェスク独裁政権末期のルーマニアを舞台に、望まない妊娠をしたルームメイトの違法中絶を手助けする大学生オティリアの一日が、ドグマ95を乗り越えるようなスタイルでリアルに描き出される。
ルームメイトが立てた計画は、彼女の体調不良も手伝って狂い出し、そのしわ寄せがすべてオティリアにのしかかっていく。彼女は、ルームメイトの手術を成功させるために、大きな犠牲を払うことになる。
この映画を観たら、なぜそこまでと思う人もいるだろう。チャウシェスク政権は、人口増加政策によって避妊や中絶を禁止し、少なくとも4人の子供をもうけることを国民に強要した。それは、人間が、労働力を確保し、国力を高めるための道具にされていることを意味する。だからオティリアは、どんな犠牲を払っても、人間性を蔑ろにする独裁政権に対して抵抗しようとするのだ。
■物語を排除する合理化――『ファーストフード・ネイション』
この2本の映画では、制度に抵抗しようとすることが物語を生み出す。では、リチャード・リンクレイター監督の『ファーストフード・ネイション』の場合はどうか。
ファーストフード業界の内幕を暴いてベストセラーとなったエリック・シュローサーのノンフィクションを、物語として再構築したこの映画では、制度と人間の関係が描かれる。
だが、ハンバーガー・チェーンの本社幹部も、店舗で働くアルバイトの学生たちも、精肉工場で酷使されるメキシコからの不法移民たちも、最終的に主人公とはなり得ない。社会学者ジョージ・リッツアがマクドナルド化≠ニ呼ぶような徹底的な合理化が、彼らの物語を飲み込んでいくからだ。『いのちの食べかた』でも浮き彫りにされたようなシステムが中心にあり、物語を成立させないところに、この映画の恐ろしさがある。
■物語の運命を握る主人公たち――『ノーカントリー』
1980年代のアメリカを舞台にしたコーエン兄弟の新作『ノーカントリー』(コーマック・マッカーシーの『血と暴力の国』の映画化)にも、現代における物語について考えさせる要素がある。
麻薬密売にからむ大金を持ち去り、逃亡を余儀なくされる男モス、組織ですらその行動をコントロールできないサイコパス殺人鬼シガー、そして、死人が続出する前代未聞の事件に翻弄されながらも、モスを救おうとする実直な保安官ベル。彼らは、それぞれに物語に対して異なる位置を占めている。
コーマック・マッカーシーの原作小説『血と暴力の国』では、大金を発見したモスの気持ちがこのように表現されている。「これから死ぬまでの陽がのぼり陽が沈む一日一日。そのすべてが鞄の中の重さ四十ポンドほどの紙の束に凝縮されていた」。彼の物語は、そのときから金に置き換えられるともいえる。
一方、シガーについては、彼が使う手製の武器がその存在を象徴している。武器の犠牲者を見たベルは、食肉処理場で屠殺される牛の姿を連想する。シガーは、物語を抹殺する存在なのだ。そして、目上の男たちの話に耳を傾けることを好むベルは、物語の継承者といえる。この映画では、そんな3人がからみあっていくとき、人物だけではなく、物語の運命も見えてくるのだ。
■金に換算された愛情のゆくえ――『マイ・ブルーベリー・ナイツ』
アメリカを舞台にしたウォン・カーウァイ監督の英語作品『マイ・ブルーベリー・ナイツ』では、愛情をめぐる男女の関係に独自の表現が盛り込まれている。
失恋したヒロインのエリザベスは、カフェを営むジェレミーに慰められるが、未練を断ち切ることができない。そこで、自分の気持ちを確認するために旅に出る。そして、メンフィスでは、別れた妻のことが忘れられず、酒に救いを求める警官アーニーに、ラスベガスでは、人を信じないことを信条とする女ギャンブラー、レスリーに出会い、自分を見つめ直していく。 |