安住の地へのロマンティシズム
――『君はどこにいるの?』と『モスクワ・天使のいない夜』をめぐって



君はどこにいるの? / Oblako-raj / Cloud Heaven
―――――1991年/ソビエト/カラー/79分/スタンダード
モスクワ・天使のいない夜 / Ya khotela uvidet angelov / I Wanted to See Angels
――――――――-1992年/ロシア/カラー/85分/1:1.66
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(初出:「骰子/DICE」No.2、1994年2月、若干の加筆)

 

 

 カレン・シャフナザーロフ監督の『ゼロシティ』では、モスクワから田舎町に派遣された技師が、自分の目を疑いたくなるほど奇妙な体験に次々と遭遇したあげくに、町から出られなくなっていることに気づく。道に迷った主人公は、不思議な博物館にたどりつく。そこには、ロシアとこの田舎町をめぐる虚実入り乱れた歴史が再現されている。その博物館を後にした彼は、水辺にあったボートにひとり乗り込み、 どこに向かうのかもわからないままボートを漕ぎ出す。それと同時に、博物館のなかでは、再現された歴史を照らす照明がひとつひとつ消えていく。

 ペレストロイカという急激な社会の変化のなかで、これまでの歴史は意味を失い、もはや後戻りはできない。これから先は何も見えないが、とにかく前に進んでいくしかない。この映画はそんな時代の空気を表現している。

 『ゼロシティ』の翌年の91年に製作されたソビエト映画『君はどこにいるの?』でも、主人公が先の見えない世界に向かって旅立たなければならなくなる。何の変哲もない田舎町を舞台にしたこの映画のあまりにもシンプルな物語は、おそらく世界中のどこに舞台を変えても成立するだろう。しかしそのシンプルな物語から、これほど不条理な面白さや意味が広がることも決してないに違いない。

 この田舎町では、毎日何の変化もなく時間が過ぎ去っていく。しいて変化するものがあるとすれば、それは天気ぐらいのものだ。しかし、町で知った顔に出くわすと天気の話題を持ちだす主人公の若者は、周囲から半ば疎ましい目で見られている。なまじ天気の話題など持ち出されれば、変化のない日常がいっそう虚しく感じられるだけなのだ。

 そこで気づまりになった主人公は、思い余って「友人の招きで極東に行き仕事につく」と、ありもしないことを口走ってしまう。すると突然、大事件が起こったかのように町の人々の態度が急変し、町を出る英雄を祝福し、送り出す準備がすすめられていく。彼はどうしても町を出ていかざるをえないはめに陥るのだ。

 この映画は、実にほのぼのとした雰囲気でドラマが展開していく。それだけに怖い気がするのは、町の人々が、主人公が具体的にどこに行き、どんな仕事につくのかほとんど関心を持っていないように見えることだ。彼が出発するというただそれだけのことが、完全に求心力を失った町に磁場を生み、空気を一変させてしまうのだ。

 主人公にはもはやなす術がない。彼の目の前で、彼の部屋から必要がなくなった家具が持ち出され、しかも新しい間借り人までもが決まってしまう。これはまさに『ゼロシティ』の主人公が陥るのと同じ状況である。もう後戻りはできず、何が何でも進むしかないのだ。

 そしてこの映画でいちばん印象に残るのは、乗客がひとりだけのバスが、人々に見送られる場面だろう。このバスには、具体的にどこかに向かうという現実感がまったくない。本当に浮遊するような不思議なイメージを漂わせている。しかしその浮遊するイメージにこそ、ある種のリアリティがある。

 なぜなら、町の住人は主人公が出発するという事実だけにささやかな希望を見出し、 自分たちの居場所を相対化する。一方、追いつめられた主人公が希望を託すのも、極東やモスクワといった具体的な場所ではなく、空に浮かぶ雲や天国なのである。つまりこのバスは、住人と主人公が抱くあまりにも抽象的な希望のはざまを、あてもなく走り出してしまうのだ。

 

―君はどこにいるの?―

◆スタッフ◆

監督   ニコライ・ドスタル
Nikolai Dostal
脚本 ゲオルギイ・ニコラエフ
Georgy Nikolaev
撮影 ユーリー・ネフスキー
Youri Nevski
編集 マリア・セルゲーエワ
Maria Sergeeva
音楽 アレクサンドル・ゴールドシュテイン
Alexander Goldstein

◆キャスト◆

コーリャ   アンドレイ・ジガーロフ
Andrei Jigalov
フェージャ セルゲイ・バターロフ
Sergei Batalov
ワーリャ イリーナ・ローザノワ
Irina Rozanova
ナターシャ アーラ・クリューカ
Alla Kliyuka
タチヤーナ・イヴァーノヴァ アンナ・オフシャニコヴァ
Anna Ovsyannikova
フィロメイエフ ウラジミール・トロコーニコフ
Vladimir Tolokonnikov
(配給:シネセゾン)

―モスクワ・天使のいない夜―

◆スタッフ◆

監督/脚本   セルゲイ・ボドロフ
Sergei Bodrov
製作/脚本 キャロリン・キャヴァレーロ
Carolyn Cavallero
製作総指揮 アレクサンドル・ミハイロフ/レオナルド・レフ
Alexander Mihailov/Leonard Lev
撮影 アレクセイ・ロジオーノフ/セルゲイ・タラスキン/フョードル・アラヌィシェフ/ウラジーミル・イリイン
Alexei Rodionov/Sergei Taraskin/Fedor Aranshiva/Vladimir Ilyn
編集 オルガ・グリンスプン
Olga Grinspan
音楽 モンゴル・シューダン
Mongol Shoodan

◆キャスト◆

ボブ   アレクセイ・バラノフ
Alexei Baranov
ネット ナターリャ・ギンコ
Natalia Ginko
その他 リア・アヘジャーコワ/アレクセイ・ジャルコフ/エフゲーニー・ピヴォヴァーロフ
Lia Ahedjakova/Alexei Jarkov/Evgeni Pivovarov
(配給:アップリンク)
 

 これに対して、92年のロシア映画『モスクワ・天使のいない夜』は、急激な変化の中心にあるモスクワを舞台にしている。『タクシー・ブルース』も現代のモスクワを描く作品だったが、この映画では、もっと若い世代の生き様が浮き彫りにされている。

 地方都市からモスクワへとやってくる20歳の主人公ボブには、自由というものに対して「タクシー・ブルース」の主人公たちのような戸惑いはない。どっぷりと漬かりきっている。彼は皮ジャンでバイクを駆り、『イージー★ライダー』を話題にする。そんなところを見ると、彼はさながら青春映画の主人公である。しかし一方で、彼はマフィアのボディガードでもあり、 ボスの金を盗んだ同郷の友人から金を取り返すか、さもなくば殺すためにモスクワへとやってきた。そういう意味では、変化する社会を視野に入れたフィルム・ノワールの主人公ともいえる。

 この映画の魅力のひとつは、そんなふたつの要素が共存しているところにある。主人公のなかには、非情に徹しようとする部分と甘く無邪気な部分があり、そのあいだを揺れ動いているのだ。

 モスクワにやってきた彼は、この都市のダークサイドへと引き込まれていく。ボドロフ監督がドキュメンタリー・タッチで描きだすモスクワは、求心力を失い、ギャングやバイカー、パンク・バンド、出口のないティーンが混沌とした世界を作り上げている。そして、そんな混沌とした状況からは、ある母親が、職にありつくことができずに犯罪に手を染める息子を、 自ら警察に密告するというような悲劇も浮かび上がってくる。

 そんな世界のなかで主人公は、絶望を経験して固く心を閉ざした娘に出会い、心が揺れていく。そこで彼は、殺しの段取りと娘への気持ちに何とか折り合いをつけようと、ひどく稚拙な努力を繰り返す。このギャップも、突き詰めればペレストロイカが生み出したものと見ることができる。そして主人公の運命は、現代のモスクワに引き裂かれていくことになるのだ。

 ただしこの映画は、モスクワに何かを期待してやってきた若者の夢が、無惨に破れていくといった物語とは一線を画している。主人公の気持ちには、モスクワに向かう路上で、すでに諦観のようなものが漂い、彼の醒めた眼差しは、映画を通して変化することがない。そのモスクワに向かう路上には、印象的な場面がある。彼は、雪と静けさに包まれた森に立ち寄り、そこで心をやすめる。 その森のイメージは、具体的な土地というよりは、観念的で象徴的な安住の地を表している。

 『君はどこにいるの?』の主人公が夢想する雲や天国、そしてこの森のイメージには、ロシア的なロマンティシズムが反映されているということもできる。しかし、2本の映画の現実的な部分を見てしまうと、先がまったく見えず、混沌とした社会が、そうしたロマンティシズムをさらに助長し、こうしたイメージを際立たせているように思えてくるのだ。


(upload:2001/01/28)
 
 
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