ペレストロイカは、ソビエト社会を大きく変えつつあり、映画にもそれが反映されている。パーヴェル・ルンギン監督の『タクシー・ブルース』はその好例だが、ともに90年に製作されたアメリカ映画の『ロシア・ハウス』とソビエト映画の『ゼロシティ』も、対比してみるとなかなか興味深い。
『ロシア・ハウス』は、スパイ小説の大御所ジョン・ル・カレが書いた同名ベストセラー小説の映画化。原作は、ル・カレがゴルバチョフ政権下のソビエトを取材して書いたスパイ小説である。一方、『ゼロシティ』は、以前『ジャズメン』という味のある作品が公開されているカレン・シャフナザーロフ監督の新作。プレスには、ペレストロイカ・ニューウェイヴ≠ネる表現も使われている。
この2本の映画は、ペレストロイカ以後のソビエトを外と内から描く作品といってよいだろう。
『ロシア・ハウス』は、ペレストロイカが進むモスクワで開催されたイギリス・オーディオ・フェアが物語の発端となる。謎のロシア人女性カーチャによって3冊のノートがフェアに持ち込まれ、イギリスで出版社を経営するバーリーに宛てられたノートは、イギリス情報部の手に渡る。ノートには、ソビエトの核兵器システムの欠陥が事細かに記されていたことから、その真偽をめぐって情報部は色めき立つ。
この物語には、ふたつの要素がある。ひとつは、スパイものらしいサスペンスの要素。イギリス人編集者バーリーは、ノートを書いた人物の正体をさぐるスパイとして、やむなくソビエトに入る。そしてもう一方には、ロマンスの要素がある。フェアにノートを持ち込んだパイプ役のカーチャとバーリーのあいだには恋愛感情が芽生えていく。
そしてペレストロイカは、この映画のサスペンスではなく、ロマンスの要素を強調するのに大いに貢献している。映画に映し出されるソビエトの風景がそれをよく物語っている。バーリーとカーチャが接触するのは、常にモスクワの観光名所である。たとえば彼らは、歩哨の交代が名物になっている赤の広場のレーニン廟の前で接触する。バーリーが彼女から秘密を聞き出す場所も、広場の大聖堂を見下ろす鐘楼の上である。
他に、巨大なデパートであるグム百貨店やモザイクが美しい地下鉄の駅なども出てくる。
もちろんこれは、やむなくスパイとなった男と命がけでパイプ役を引き受けた女が、白昼堂々と接触するには相応しい場所とはいいがたい。ちなみに原作では、彼らは人目につかない場所で接触している。バーリーが秘密を聞き出す場所も、大聖堂を見下ろす鐘楼ではなく、情報部が準備した部屋である。
しかしこの観光名所はロマンスには相応しい。昔からハリウッド映画は、世界のあらゆる土地や歴史のあらゆる時間を映画に再現し、エキゾティシズムを追及してきた。この映画のモスクワも、スパイ・サスペンスではなく、そんなエキゾティシズムの対象となっているのである。ペレストロイカによって、ソビエトで5週間のロケを行った結晶は、ロマンスを際立たせるこのエキゾティシズムなのだ。
この映画の物語の設定は、ペレストロイカ以後のソビエトだが、実際にドラマの背景となるソビエトは、昔ながらのそれである。ペレストロイカ以後のソビエトとは、たとえば『タクシー・ブルース』に描かれるような、夜空に花火が炸裂し、巨大なテレビ・モニタが輝き、ブラック・マーケットがはびこる世界である。しかしそれでも、このハリウッド的なエキゾティシズムに、ペレストロイカが確かに反映されているのである。
それは、ある意味で外から見たペレストロイカなのだ。
『タクシー・ブルース』では、新旧の価値観を代表し、それゆえ対立してきた主人公たちが、ペレストロイカによる突然の自由に戸惑う姿が浮き彫りにされていた。「ゼロシティ」では、そんなペレストロイカ以後の混沌とした世界が、非常に抽象的、象徴的なスタイルで描かれている。そのスタイルはかなり徹底しているので、何がどうなっているのか、あまりに不条理な世界に頭を抱えてしまうという人もいるかと思う。
『ゼロシティ』は、モスクワで働く技師が、小さな田舎町に派遣されてくるところから始まる。ところが、到着早々、彼の回りで奇妙なことが次々と起こる。派遣された工場に行くと、秘書が全裸でタイプを打っている。立ち寄ったレストランでは、頼みもしないデザートとして、この主人公の首を型取った生々しいケーキが出され、それを食べるのを拒むと、ケーキを作ったコックが自殺してしまう。
やがて主人公は、自分がその小さな町を出られなくなっているのに気づく。
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