ペレストロイカと自由の意味
――映画『タクシー・ブルース』とロック・カルチャーをめぐって


タクシー・ブルース/Taksi-Blyuz/Taxi Blues――1990年/ソ連=フランス/カラー/110分
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(初出:「CITY ROAD」1991年、若干の加筆)

 

 

 昨年(1990年)の終わりにモスクワに行ったこともあって、そのモスクワを舞台に現代のソビエトを描いたパーヴェル・ルンギン監督の映画「タクシー・ブルース」にはいろいろと考えさせられるものがあった。

 この映画は、ふたりの登場人物が中心になって物語が展開していくのだが、その彼らのキャラクターがとても興味深い。ひとりは、勤勉な労働こそが人間のあるべき姿だと確信し、この信念に対してファシスト的な姿勢すら辞さないタクシーの運転手シュリコフ。 そしてもうひとりは、アル中で自己破壊的な衝動にかられるジャズマン、リョーシャ。映画は、リョーシャがシュリコフの客になり、タクシー代を踏み倒すところから、彼らの奇妙な共同生活、愛憎関係を描いていく。

 このふたりの立場をどのように見るのかによって、この映画の印象はだいぶ変わるはずだ。たとえば、ふたりを単純に新旧世代の代表のように見てしまうと、夜空に花火が炸裂し、巨大なテレビ・モニターが輝き、 ブラック・マーケットがはびこるモスクワは新鮮ではあっても、キャラクターとしては、ありきたりな関係ということになってしまう。

 しかし、このふたりは自由な芸術家と労働者という大きな違いはあるが、単純に新旧の価値観の代表者とはいえない。むしろ、これまでは抑圧された厳しい状況のもとで対立する関係にあったのが、ペレストロイカによって突然、 対立する意味を失って同じ場所に立つことになってしまった人間同士というべきだろう。

 ところが、時代は変わっても、タクシーの運転手の身体に染みついてしまった勤勉の信念は簡単に変わるものではないし、厳しい状況下でアルコールやドラッグにおぼれ、 自分を痛めつけることによって自己を守ってきたミュージシャンもまた、簡単に生活を変えることができない。そして、自由を目の前にしながら、身体が意識を支配している人間同士は、本能的にお互いを軽蔑したり、憎悪してしまう。「タクシー・ブルース」は、 そんな自由に戸惑うソビエトの現在、ある種のを実にリアルに描いている。

 そして、この映画から浮かび上がる現実を踏まえて読むと、その内容がいっそう興味深く思えてくるのが、アルテミー・トロイツキーというロシア人の評論家が書いた「TUSOVKA」という本である。このタイトルはロシア語でニューウェイヴ≠意味する。 著者は本書のなかで、10人の代表的なロック・ミュージシャンを取り上げ、新しいソビエトのロック・カルチャーを論じている。その本がどうして「タクシー・ブルース」と結びつくのかというと、 本の冒頭に引用されているアンドレイ・タルコフスキー監督の言葉を読んでもらえば察しがつくのではないだろうか。


―タクシー・ブルース―

◆スタッフ◆

監督/脚本
パーヴェル・ルンギン
Pavel Lungin
撮影 デニス・エフスチグニェーエフ
Denis Yevstigneyev
編集 エリザベト・グイド
Elizabeth Guido
製作 アレクサンドル・ゴルトヴァ/ピエール・リヴァル
Aleksandr Golutva/Pierre Rival
製作総指揮 マーリン・カーミッツ/ウラジーミル・レプニコフ
Marin Karmitz/Vladimir Repnikov
音楽 ヴラジーミル・チェカシン
Vladimir Chekasin

◆キャスト◆

リョーシャ
ピョートル・マモノフ
Pyotr Mamonov
シュリコフ ピョートル・ザイチェンコ
Pyotr Zajchenko
ニェチポレンコ ヴラジーミル・カシュプル
Vladimir Kashpur
クリスチナ ナターリャ・コリャカノヴァ
Natalya Kolyakanova
ハル・シンガー ハル・シンガー
Hal Singer
ニーナ エレーナ・サフォノヴァ
Yelena Safonova

《データ》
TUSOVKA―WHO'S WHO IN THE●
NEW SOVIET ROCK CULTURE
by Artemy Troitsky (Omunibus Press) 1990
 
 
 
 
 


「われわれ芸術家が突然自由になったとき何が起こるのか、わたしには想像がつかない… 。自由であることはわれわれにとってまったく未知の体験なのだ」

 つまり、この本は、単にロック・カルチャーを論じているのではなく、ルンギン監督が「タクシー・ブルース」で描いたのと同じように、ペレストロイカによって自由を手にしたとき、現代のソビエトを代表するロック・ミュージシャンたちに何が起こったのかを検証しようとする本なのである。 本書の短い前書きを読むと、たくさんのミュージシャンが「タクシー・ブルース」と同じような困難に直面していることがわかる。これまで共通の敵に対して連帯して抵抗することによってアイデンティティを確認できたミュージシャンたちは、この真空状態のなかで、 それぞれに新しいアイデンティティを模索しようとしているということだ。また、なかにはかつての"アンダーグラウンド時代"にノスタルジーを感じてしまう人間すらいるという。

 そこで、ここでは、著者が取り上げた10人のなかから比較的日本でも馴染みのあるミュージシャンを選んで、そうした混乱を少し具体化してみたいと思う。

 本書の第1章を飾るボリス・グレベンシコフについては、CBSから西側にデビューして話題になったので、あまり解説の必要もないと思う。著者もそこらへんを考慮に入れ、ボリスについては、プロフィールを省略して、著者と同世代であるボリスを代表とする世代論にページをさいている。

 ボリス(1953年生まれ)の世代は、ビートルズの音楽と"プラハの春"を粉砕した68年のチェコ侵攻を出発点とする最初のソビエト・ロック世代である。この世代からは、他の世代と比較にならないくらい多くのミュージシャン、画家、写真家などのアーティストが登場する一方、 アル中やヤク中になったり、ブラック・マーケットに走る若者も空前の数にのぼったといわれる。

 ボリスは、ソビエトで最初のパンク/ニューウェイヴ・バンド、アクアリウムを結成し、ボブ・ディランからレゲエまであらゆるスタイルを摂取しながら、自己のメッセージを紡ぎ出していった。著者のアルテミーはそんなボリスを高く評価する一方で、評判の悪いマネージャーと契約したり、 現実よりも"神話"にこだわるボリス(彼の愛読書は「指輪物語」だそうだ)に対して批判的な意見も書いている。そして、社会が大きく変わったとき、ボリスが求めた新しい舞台、アイデンティティ、神話の基盤は、西側世界だったわけだが、彼の西側デビュー作のセールスは不振、ツアーも不成功に終わってしまった。 この第一章は、ボリスがその結果に落胆して帰国してくるところで終わっている。

 一方、失われた世代の予言者に祭り上げられてしまったボリスとは対照的にも見えるのが、ソビエトの代表的なロック・グループ <ズヴォウキ=ム> のリード・ヴォーカルであり、映画「タクシー・ブルース」でアル中のジャズ・ミュージシャンを熱演したピョートル・マモノフだ。 このグループは、ブライアン・イーノのプロュースで、西側にデビューしている。「タクシー・ブルース」のプレス資料には、ルンギン監督から出演を依頼され、脚本を読んだマモノフが、監督に「どうやってこれを書いたんだ? これは私だ!」と言ったというエピソードがのっているが、本書を読むと、 実際どのようにこれは私≠ネのかということがよくわかる。

 著者はこの本を書く前に、マモノフにインタビューを申し込んだ。彼は朝、マモノフと連絡をとり、その日の午後二時に彼の自宅で会うことになった。ところが、時間通りに家に行ってみると彼は外出したままで、四時間過ぎても戻ってこない。その晩、マモノフから著者に電話があり、 事情を聞くと、彼は西ドイツのツアーから戻ったばかりで、モスクワの街恋しさに散歩に出て、インタビューの時に出そうと酒を買ったところまではいいが、道に迷い前後不覚におちいってしまったのだという。その翌日の午前10時に再び家を訪ねると、彼は洋服のままウォッカのボトルを抱えてソファに眠っていたという。

 こうしたエキセントリックな魅力は、「タクシー・ブルース」にも彼のアルバムにもよく出ている。しかし、世代や時代とは無縁の道化師を演じてきたマモノフの場合には、ボリスとも映画のサックス奏者のキャラクターとも違い、いまでは、アルコールからは更生し、 とらえどころのないパフォーマーとしてのオリジナリティを失うことなく、国内でカルト的な人気を誇るスターになっているという。

「われわれはいまユニークな時代を生きている、信じられないことだが……何でも可能なんだ! いまなら、クレイジーなことをいくらやっても平気だし、やらなければいけないんだ……しかし、『同志諸君! 何でもやりたいことをやりたまえ!』といわれても、 まだ検閲の時代にやってきたこととまったく同じことを繰り返している。自由があまりにもかけ離れたもので、本当のチャンスがあってもそれをつかむことができないんだ」というのは、日本でもお馴染みのセルゲイ・クリョーヒンの言葉である。ロシア人がこの自由≠ノ慣れるまでには、まだまだ時間がかかることだろう。

 
 
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