「われわれ芸術家が突然自由になったとき何が起こるのか、わたしには想像がつかない… 。自由であることはわれわれにとってまったく未知の体験なのだ」
つまり、この本は、単にロック・カルチャーを論じているのではなく、ルンギン監督が「タクシー・ブルース」で描いたのと同じように、ペレストロイカによって自由を手にしたとき、現代のソビエトを代表するロック・ミュージシャンたちに何が起こったのかを検証しようとする本なのである。
本書の短い前書きを読むと、たくさんのミュージシャンが「タクシー・ブルース」と同じような困難に直面していることがわかる。これまで共通の敵に対して連帯して抵抗することによってアイデンティティを確認できたミュージシャンたちは、この真空状態のなかで、
それぞれに新しいアイデンティティを模索しようとしているということだ。また、なかにはかつての"アンダーグラウンド時代"にノスタルジーを感じてしまう人間すらいるという。
そこで、ここでは、著者が取り上げた10人のなかから比較的日本でも馴染みのあるミュージシャンを選んで、そうした混乱を少し具体化してみたいと思う。
本書の第1章を飾るボリス・グレベンシコフについては、CBSから西側にデビューして話題になったので、あまり解説の必要もないと思う。著者もそこらへんを考慮に入れ、ボリスについては、プロフィールを省略して、著者と同世代であるボリスを代表とする世代論にページをさいている。
ボリス(1953年生まれ)の世代は、ビートルズの音楽と"プラハの春"を粉砕した68年のチェコ侵攻を出発点とする最初のソビエト・ロック世代である。この世代からは、他の世代と比較にならないくらい多くのミュージシャン、画家、写真家などのアーティストが登場する一方、
アル中やヤク中になったり、ブラック・マーケットに走る若者も空前の数にのぼったといわれる。
ボリスは、ソビエトで最初のパンク/ニューウェイヴ・バンド、アクアリウムを結成し、ボブ・ディランからレゲエまであらゆるスタイルを摂取しながら、自己のメッセージを紡ぎ出していった。著者のアルテミーはそんなボリスを高く評価する一方で、評判の悪いマネージャーと契約したり、
現実よりも"神話"にこだわるボリス(彼の愛読書は「指輪物語」だそうだ)に対して批判的な意見も書いている。そして、社会が大きく変わったとき、ボリスが求めた新しい舞台、アイデンティティ、神話の基盤は、西側世界だったわけだが、彼の西側デビュー作のセールスは不振、ツアーも不成功に終わってしまった。
この第一章は、ボリスがその結果に落胆して帰国してくるところで終わっている。
一方、失われた世代の予言者に祭り上げられてしまったボリスとは対照的にも見えるのが、ソビエトの代表的なロック・グループ
<ズヴォウキ=ム>
のリード・ヴォーカルであり、映画「タクシー・ブルース」でアル中のジャズ・ミュージシャンを熱演したピョートル・マモノフだ。
このグループは、ブライアン・イーノのプロュースで、西側にデビューしている。「タクシー・ブルース」のプレス資料には、ルンギン監督から出演を依頼され、脚本を読んだマモノフが、監督に「どうやってこれを書いたんだ? これは私だ!」と言ったというエピソードがのっているが、本書を読むと、
実際どのようにこれは私≠ネのかということがよくわかる。
著者はこの本を書く前に、マモノフにインタビューを申し込んだ。彼は朝、マモノフと連絡をとり、その日の午後二時に彼の自宅で会うことになった。ところが、時間通りに家に行ってみると彼は外出したままで、四時間過ぎても戻ってこない。その晩、マモノフから著者に電話があり、
事情を聞くと、彼は西ドイツのツアーから戻ったばかりで、モスクワの街恋しさに散歩に出て、インタビューの時に出そうと酒を買ったところまではいいが、道に迷い前後不覚におちいってしまったのだという。その翌日の午前10時に再び家を訪ねると、彼は洋服のままウォッカのボトルを抱えてソファに眠っていたという。
こうしたエキセントリックな魅力は、「タクシー・ブルース」にも彼のアルバムにもよく出ている。しかし、世代や時代とは無縁の道化師を演じてきたマモノフの場合には、ボリスとも映画のサックス奏者のキャラクターとも違い、いまでは、アルコールからは更生し、
とらえどころのないパフォーマーとしてのオリジナリティを失うことなく、国内でカルト的な人気を誇るスターになっているという。
「われわれはいまユニークな時代を生きている、信じられないことだが……何でも可能なんだ! いまなら、クレイジーなことをいくらやっても平気だし、やらなければいけないんだ……しかし、『同志諸君! 何でもやりたいことをやりたまえ!』といわれても、
まだ検閲の時代にやってきたこととまったく同じことを繰り返している。自由があまりにもかけ離れたもので、本当のチャンスがあってもそれをつかむことができないんだ」というのは、日本でもお馴染みのセルゲイ・クリョーヒンの言葉である。ロシア人がこの自由≠ノ慣れるまでには、まだまだ時間がかかることだろう。 |