ソビエト連邦崩壊とサブ・カルチャー


ワイルド・イースト / Diki Vostok / The Wild East : The Last Soviet Movie
――――1993年/カザフスタン/カラー/98分/ヴィスタ(1:1.66)
私は20歳 / Mne dvadtsat let / I am Twenty
――――1962年(1990年完全版復元)/ソビエト/モノクロ/198分/スタンダード
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(初出:「SWITCH」Vol.13,No.4、1995年5月、加筆)


 

■■ペレストロイカ以後のユース・カルチャー■■

 ペレストロイカ以後を中心に、ロシアのユース・カルチャーを分析したヒラリー・ピルキントンの『Russia's Youth and Its Culture』(94)という本がある。著者はロシア・東欧の政治、社会学を専門にするバーミンガム大学の講師ということで、内容は少し堅いところもあるが、やはり興味深い。全体の構成は三部からなり、一部では歴史や政治の観点から、 西側と東側のユース・カルチャーの違いが明らかにされ、二部では新聞、雑誌、研究書などをもとに、大人の視点から見えてくる若者をめぐる状況の変化を扱い、三部では、著者自身のフィールド・ワークに基づく若者の現実が浮き彫りにされている。

 著者は88年から89年、そして91年にモスクワに滞在し、若者たちの様々なグループと交流を持ち、情報を集め、それをこの三部にまとめた。そこには、若者たちのグループを分類した系図も盛り込まれている。その系図は、パンク、ヘヴィメタ、ヒッピー、バイカー、スケボー、ブレイク・ダンスから、 政治や思想に支柱を求めるネオナチやスキンヘッドといったファシスト、あるいは金が優先の売春やブラック・マーケット、さらにボディビルや労働者階級を代表するリューベルィなど、最終的に30ほどのグループに枝分かれしている。これはペレストロイカという未知の体験をした若者たちが、それぞれに求めるアイデンティティの分類ともいえる。

 一見するとユース・カルチャーは盛り上がりを見せているかのようだが、著者によればそれは、しっかりしたアイデンティティではないという。たとえば、リューベルィは郊外からモスクワに押しかけ、西側文化どっぷりのパンクやヘヴィメタ・キッズを襲撃し、浄化を主張しているが、だからといって明確な愛国心とか労働者階級の意識があるわけではない。 それを口実として自分が世界を仕切るような刺激を求めているに過ぎない。一方、著者がインタビューしたあるパンク・キッズの楽しみは、夜中に作り物のマシンガンを持ってビルの屋上を渡り歩くことで、どうやらそんなふうにして都会のジャングルを支配している気分にひたっているようだという。

■■最後のソビエト映画『ワイルド・イースト』■■

 カザフスタン出身のラシド・ヌグマノフが監督した『ワイルド・イースト』(93)には、ピルキントンのこの本から浮かび上がる世界との繋がりを感じる。最後のソビエト映画≠ニいう副題が付けられたこの作品は、黒澤明の『七人の侍』をベースに、ハリウッド映画やマカロニ・ウエスタンのパロディ、パンク・ロックやボーダーレスなファッションなど、 様々な要素が盛り込まれている。農民にかわる太陽の子供たちという小人の一団とバイカーの対立などには、現実の若者たちの対立構造を寓話化したような面白さがある。

 しかし最も印象的なのは、様々な要素が盛り込まれているにもかかわらず、どこにも突き抜けるものがないということだ。この映画は本質的には『七人の侍』から一歩もどこかに踏み出さない。それが何とも不思議な印象を残すのである。

 監督のヌグマノフは、この映画についてこんなことを語っている。「サブ・カルチャーは、主流文化なくしては生まれなかった文化だったのです。私の作品は、そのサブ・カルチャーを反映しています。ソ連の主流文化が消えたこの先、主流文化同様、サブ・カルチャーも存在しません。だからこの映画が"ラスト・ソビエト・ムーヴィー"なのです」。

 このコメントで筆者が思い出すのは、先述した『Russia's Youth and Its Culture』の二部で、著者が書いていることだ。党やコムソモールは、ペレストロイカ以後に表舞台に続々と登場してくる若者たちの対応に苦慮する。たとえば彼らは、パンク、ヘヴィメタのファンやヒッピー、バイカーたちを、まともな路線に導くために、専用のクラブを設置し、バンドの活動などまで手助けする。 これは、犯罪に走らなければ、公的機関が何でも協力することを意味する。

 そうなると確かに、サブ・カルチャーは意味を失うことになる。そして、ヌグマノフが映画を一本使ってサブ・カルチャーを埋葬するのも、前向きなメッセージのように思えてくるのである。あるいはこれは、『ゼロシティ』に出てくるあの博物館のサブ・カルチャー版ともいえる。『七人の侍』という入れ物に、意味を失ったサブ・カルチャーの残骸をすべて放り込み、過去へと葬り去るということだ。

■■「私は20歳」とスティリャーギ■■

 そしてここでもう一本注目してみたいのが、マルレン・フツィエフ監督の『私は20歳』だ。この映画は一見したところ、これまでの流れとはまったく関係ないように見える。『私は20歳』は62年に製作されたソビエト映画で、政治的な圧力によって大幅な修正を余儀なくされ、公開も65年まで延期された作品であるからだ。ちなみに今回公開されるのは、監督自らが復元した完全版である。

―ワイルド・イースト―

◆スタッフ◆

監督/脚本/製作
ラシド・ヌグマノフ
Rachid Nougmanov
撮影/製作 ムラト・ヌグマノフ
Mourat Nougmanov
音楽 アレクサンダー・アクシュノフ
Alexander Aksyonov

◆キャスト◆

ワンダラー
コンスタンチン・ヒョードロフ
Kondtantin Fyodorov
マリリン ジャンナ・イシナ
Zhanna Isina
ビートニク アレクサンドル・アクショーノフ
Alexander Aksyonov
イオナ ゲンナージー・シャトゥノフ
Gennadi Shatunov
チェレパ スラワ・クニゼリ
Slava Knizel
(配給:アスク講談社+シネマ・キャッツ)

―私は20歳―

◆スタッフ◆

監督/脚本
マルレン・フツィエフ
Marlen Khutsiyev
脚本 ゲンナジー・シパリコフ
Gennadi Shpalikov
撮影 マルガリータ・ピリーヒナ
Margarita Pilikhina
音楽 N・シデリニコフ
N. Sidelnikov

◆キャスト◆

セリョージャ・ジャラヴリョフ
ヴァレンティン・ポポフ
Valentin Popov
コーリャ・フォーキン ニコライ・グベンコ
Nikolai Gubenko
スラーバ・コスティコフ スタニスラフ・リュブシン
Stanislav Lyubshin
アーニャ マリアンナ・ヴェルティンスカヤ
Marianna Vertinskaya
(配給:シネセゾン)
 


 映画の時代背景は、フルシチョフが脱スターリン政策を打ち出したいわゆる雪どけ≠フ時代。社会は活気にあふれ、信じられないほど明るく華やかな61年のメーデーの実写などもおさめられている。映画は、兵役を終えてモスクワに戻ったセリョージャという若者を主人公に、教養豊かで奔放に生きるアーニャとの出会い、親友や家族の絆、独ソ戦を経験した父親の世代との断絶などを描いている。 光のとらえ方やカメラワークが素晴らしく、とても62年の映画とは思えないほどスタイルが洗練されている。

 そんな作品をここで取り上げたいと思ったのは、ソビエトのユース・カルチャーの先駆的な存在である"スティリャーギ"を通して、この映画が現代と結びつくからだ。このスティリャーギについては、アルテーミー・トロイツキーが書いた『ゴルバチョフはロックが好き?』の第一章に詳しい。彼らは50年代に登場し、主に正装したファッションでジャズやダンスに熱中し、大いに周囲の顰蹙を買った。 ところが、雪どけの時代のなかでこうしたムーヴメントはすたれていく。当時のソビエトには、『私は20歳』のメーデー・シーンに象徴されるように、国家としての勢いがあり、頽廃や不満は流行らなかったからだ。しかし、それでもスティリャーギを続けていた者たちもいたという。

 『私は20歳』では、アーニャと彼女の仲間たちが、このスティリャーギにあたる。主人公セリョージャは、そんなアーニャや生活に疲れていく勤勉な親友、そして、21歳で戦死した父親の世界の狭間で、自分を探し、苦悩していくのである。という意味では、これも未知の体験から生まれたドラマなのだ。

 そして実は、『Russia's Youth and Its Culture』に紹介された系図には、80年代に表舞台に出てきたスティリャーギのグループも含まれている。著者によれば、80年代のスティリャーギの第一世代は、直接西側に関心を向けるのではなく、ファッションから音楽まで50年代のスティリャーギをコピーしていた。そこには、西側どっぷりの若者たちとの差別化の意識もあるが、 明るい未来が見えていた戦後の時期の楽天的な精神を再現したいという気持ちがあったというのだ。

 そんな80年代のスティリャーギの気持ちも踏まえて、『私は20歳』を観ると、この映画の世界はいっそう身近に感じられることだろう。

《参照/引用文献》
Russia's Youth and Its Culture by Hilary Pilkington●
(Routledge、1994年)
『ゴルバチョフはロックが好き?』 アルテーミー・トロイツキー●
菅野彰子訳(晶文社、1991年)

(upload:2001/02/18)
 
 
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