突然の悲劇、安全な場所、西洋と非西洋、アフリカ
――アイラ・モーリーの『日曜日の空は』とスサンネ・ビアの世界をめぐって


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(初出:web-magazine「e-days」Into the Wild、2010年1月29日更新、若干の加筆)

 


 女性作家アイラ・モーリーは、イギリス人の父と南アフリカ人の母を持ち、アパルトヘイト時代の南アで育った。後にアメリカ人と結婚し、カリフォルニアに移住した彼女は、女性と子供を支援するボランティア活動に従事したあと、ハワイと南アを舞台にしたこの長編『日曜日の空は』でデビューし、注目を浴びている。

 ヒロインのアビーは、牧師の夫とまだ幼い一人娘のクレオとハワイで暮らしている。だがある日、クレオが交通事故で死亡するという悲劇に見舞われる。深い喪失感に囚われ、立ち直ることができないアビーは、車を運転していた男やクレオを預かっていた友人など、責めを負うべき人間に対して厳しい態度をとりつづけ、夫婦関係は崩壊する。だが、やがて彼女の苦悩は、少女時代の南アの記憶と結びついていく。

■■予期せぬ出来事、スサンネ・ビアの映画との接点■■

 筆者はこの小説を読みながら、デンマーク出身の女性監督スサンネ・ビアの世界を思い出していた。彼女は2002年のドグマ作品『しあわせな孤独』で世界的に注目されるようになった。この映画では、交通事故という予期せぬ出来事が、事故で半身不随になった男性と彼の婚約者、事故を起こした主婦と彼女の夫で病院に勤務する医師に思わぬ波紋を広げていく。

 監督のビアは、この映画を作ったあとで、自分の関心と9・11以後の時代が深く結びついていることに気づき、それを強く意識して作品を作るようになる。予期せぬ出来事に翻弄されていく人々のドラマに、西洋と非西洋の境界が絡むようになるのだ。

 『ある愛の風景』(04)では、デンマーク軍の一員としてアフガニスタンに派遣されたミカエルが、作戦中にヘリもろとも撃墜され、妻子や親兄弟が喪失感に苛まれる。ところが、そんな彼らのもとに、捕虜として想像を絶する体験をし、心に深い傷を負ったミカエルが帰還し、家族は厳しい試練に直面する。

 『アフター・ウェディング』(06)では、インドで孤児たちの援助活動に従事するデンマーク人のヤコブのもとに、デンマークの実業家ヨルゲンから多額の寄付の話が舞い込む。だが、その話の背後には、ヤコブの人生を揺るがす秘密があり、彼は心を引き裂かれるような選択を迫られることになる。

 ビアは、クローズアップを多用し、日常が崩壊する危機に直面した登場人物の内面に迫っていく。そんな彼女の作品に魅了された人は、モーリーのこの小説にも引き込まれることだろう。彼女もまた喪失に苛まれ、敵愾心を剥き出しにするアビーの感情を容赦なく描き出していく。

■■アメリカとアフリカ、現在と過去、そして死についての洞察■■

 やがてもがき苦しむアビーのなかに、徐々に南アの記憶が蘇ってくる。彼女の家族は、アパルトヘイトをめぐる対立によって引き裂かれ、彼女は母親から見離されたことが心の傷になっていた。この物語では、彼女の現在と過去が繋がることによって、異なるふたつの世界が対置されていく。

 
《データ》

―日曜日の空は―

アイラ・モーリー
古屋美登里訳(早川書房、2009年)
 
◆目次◆
 
第一部   聖金曜日(受難日)
第二部 いつもの時間
第三部 受難節
第四部 復活祭
第五部 昇天祭
  訳者あとがき
 
◆著者プロフィール◆

小説家。イギリス人の父と南アフリカ人の母を持ち、アパルトヘイト時代の南アフリカで育つ。ネルソン・マンデラ・メトロポリタン大学で文学を専攻し、その後、雑誌編集者として活躍した。やがて、アメリカ人の男性と結婚し、カリフォルニアに移住。女性と子供を支援するボランティア活動に十年以上従事した後、執筆活動に転じ、「パブリッシャーズ・ウィークリー」「ブックリスト」他で絶賛された本書で華々しくデビューした。現在はロサンジェルス在住。


 
―ある愛の風景―

※スタッフ、キャストは
『ある愛の風景』レビュー
を参照のこと

―アフター・ウェディング―

※スタッフ、キャストは
『アフター・ウェディング』レビュー
を参照のこと

 
 
 

 そのもうひとつの世界の描写はどれも印象に残る。たとえば、冒頭に部分に出てくるこのような表現だ。

アフリカには良い月と悪い月がある。月が大地の恵みと人の運命――待ち望んだ首長の誕生、結婚の日取り、親類の来訪、雨の到来――を告げる。月食、黄色い月、弧が上にある三日月は不吉だ。飢え、不作、争い、病いが起きる。まわりにうっすらと暈――まじない師は「輪縄」と呼ぶ――のかかる月が意味するものはたったひとつ。死だ。アフリカの人たちは悪い月の運命を摘みとるためにはどんな努力も惜しまない。しかし、そこから地軸を半回転させた場所、このホノルルでは、夜は蛍光灯で明るく照らされ、天を見上げることもめったにない

 導入部から月を通して死が強調されているように、この物語では死が重要な位置を占めている。その死をめぐる視点は、イーストウッドの『インビクタス 負けざる者たち』レビューで書いたことにも繋がる。南アに戻ったアビーは、祖母のもとで働いていたまじない師ビューティを探し、死者の声を聞こうとする。さらに、彼女自身が、人の命を奪うという事態に直面することにもなる。つまり、この物語もまた、死から生へと向かうのだ。

■■安全な世界、安全な生活のなかで見失われるもの■■

 こうした死に対する洞察は、ビアの世界とは異質だが、ここで筆者が注目したいのは、安全に対する意識だ。たとえばアビーは、回転遊具についてこのように考える。

目眩がする風景。回転遊具はもうない。それはどうして? 最近の遊び場は活気がない。あらゆるものが安全を基準に選ばれ、ボルトで固定され、錆が浮かない。柔らかな素材で舗装してあるので、だれが飛び降りても安全で、怪我をしない。それはいいことだとわたしも思う。でも、安全と引き替えに、回転遊具の面白さを引き渡したのだ

 とまあここまでならありがちな意見といえないこともない。だがこの文章には長い続きがあり、そこに著者モーリーのこだわりが表れている。

クレオは回転遊具のスリルを一度も味わわなかった。鉄の棒にぶらさがるのがどんなものか知らなかった。片足を円形の足場にしっかり固定し、もう片方の足で地面を蹴って、あらゆるものがくるくると回るまでスピードを上げていく。そして振り落とされないように鉄の棒をしっかりつかんで回るのだ。硬いコンクリートに着地するとか、脳しんとうを起こすとか、風力で引き剥がされるなどということは考えもしなかった。ただ、木々がどんどん過ぎ去り、地平線が見えなくなり、静まり返った空気が急に渦を巻き、体が後ろに引っ張られた。その力のあまりの強さに、棒を握る手の関節が白くなった。目に見えない無数の腕が体に巻きつき、足場から引き剥がされそうになった。体中の細胞が興奮で弾け、皮膚の下を何かが走っていくような感じがした。内蔵が打楽器になったような感覚だった。恐怖で悲鳴をあげるというより、もう少しで振り落とされそうになるという興奮で、そのつもりもないのに笑い出した

 安全であることの価値を認めつつも、生の実感を実に鮮やかに表現することで、それを暗黙のうちにひっくり返しているところに、筆者は、ビアの世界と通じるものを感じる。たとえば、『ある愛の風景』の家族は、予期せぬ出来事が起こらなかったとしたら、身の回りの安全だけを確保しようとする社会のなかで、敷かれたレールの上を歩み、画一化された幸福を求めていたかもしれない。『日曜日の空は』のアビーもまた、悲劇をきっかけに、安全を基準にした世界から飛び出し、死者の領域へと踏み出し、そこから生や愛にたどりつく。

 ところで、ビアはアフリカには関心がないのだろうか? 実は彼女がハリウッドに進出した『悲しみが乾くまで』に続く新作『未来を生きる君たちへ(In a Better World)』では、物語がアフリカの難民キャンプから始まり、デンマークの地方の町を中心に展開していくようだ。彼女が『日曜日の空は』を映画化したら、おそらく素晴らしい作品になることだろう。


(upload:2010/09/25)
 
 
《関連リンク》
『ある結婚の風景』レビュー ■
『アフター・ウェディング』レビュー ■
『悲しみが乾くまで』レビュー ■
『マイ・ブラザー』レビュー ■
『未来を生きる君たちへ』レビュー ■
『未来を生きる君たちへ』公式HP ■

 
 
 
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