実際のアメリカでふたつがどれほど近いところにあるのかを知りたければ、藤本幸久監督のドキュメンタリー『アメリカばんざい』や『アメリカ―戦争する国の人びと』を観ることをお勧めする。
イラクやアフガニスタンの戦場ではなく、アメリカの内部に目を向け、戦争の現実を浮き彫りにした作品だ。現在のアメリカでは、全人口の100人に1人がホームレスで、男性のホームレスの3人に1人が元兵士だという。2本の映画には、かつてベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争に送り出され、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、ホームレスになり、暴力的な衝動に駆られ、どん底の生活を送る元兵士たち、そして息子の未来を戦争に奪われ、反戦活動を繰り広げる母親たちの姿が刻み込まれている。
『マイ・ブラザー』のドラマにもそんな現実を垣間見ることができるが、それは後に触れることにして、ここではシェリダンが舞台や世界をどうとらえているのかを確認しておきたい。シェリダンは、登場人物と彼らが生きる環境をリアルに描き出す。たとえば、『ボクサー』(97)では、紛争と和平協定で揺れる北アイルランドの世界が、『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』(05)では、低所得層の黒人やヒスパニックがサバイバルを強いられるアメリカのインナーシティの世界が、リアルな空気を醸し出していた。『マイ・ブラザー』は、海兵隊基地の日常的な風景から始まり、基地に支えられているような地域社会が浮かび上がってくる。その世界にはどこか閉塞感が漂い、未来に対する住人の選択肢が限られていることを示唆している。
次に、ふたりの監督が登場人物たちをどのようにとらえているのかを比較してみたい。彼らの視点には大きな違いがある。
ビアについては、登場人物の顔や目のクローズアップを多用することが、その視点を物語っている。彼女は、夫婦や兄弟といった関係や人物の背景よりも、いまそこにいる個人にこだわり、個人に迫ることでドラマを作り上げていく。これに対して、シェリダンは個人よりも家族にこだわり、家族の関係を軸にドラマを作り上げていく。
『マイ・ブラザー』では、サムとトミーの関係に父親のハンクが大きな影響を及ぼしている。兄弟は母親を早くに亡くしたが、その背景には戦争の現実がある。かつて海兵隊員としてベトナムの戦場に送り込まれたハンクは、帰還してから後遺症に苦しみ、母親と息子たちに負担をかけた。兄弟は母親が亡くなったあと、お互いに助け合い、特別な絆を育んできた。『ある愛の風景』に登場するミカエルとヤニックの兄弟の場合は、父親からそれほど大きな影響を受けているようには見えない。それは、ビアが彼らを個人として見つめているからでもある。
シェリダンの家族へのこだわりは、サムが捕虜になり、拷問される場面にも反映されている。サムは部下のウィリスに、妻や子供のことを忘れるように命じる。弱みを握られないためだ。しかし、執拗な拷問に耐えられなくなったウィリスは、サムの家族のことまですべて漏らしてしまう。そのため、サムの極限状況は家族とも結びつくことになる。
そして、これは個人か家族かという視点の違いとも関係することだが、最後に、登場人物の内面や感情の表現の違いに注目したい。たとえば、『ある愛の風景』のミカエルも『マイ・ブラザー』のサムも、別人になって帰還し、妻と弟の関係を疑うようになるが、彼らの内面の表現には違いが見られる。
個人にこだわるビアは、徹底して内面を掘り下げようとする。『ある愛の風景』では、ミカエルの内面を通して、償える罪と取り返しのつかない罪が巧妙に対置されている。強い責任感と信念を持つ彼は、どんな罪でも償わなければならないし、償えると信じていた。だから、弟が働いた銀行強盗にも責任を感じ、自ら被害に遭った行員に謝罪に行く。しかし、戦場で捕虜になり、一線を越えてしまう。それでも何とか罪を償おうとする彼は、殺害した無線技師の妻に会いに行くが、幼い息子の姿を目の当たりにして、追い詰められる。この罪をめぐる苦悩と狂気は極めて内的である。
ではシェリダンの場合はどうか。もちろんサムにも拭い難い罪の意識があることは間違いないが、シェリダンは別の感情も掘り下げているように思う。たとえば、先述した『ボクサー』や『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』では、差別され、抑圧されたアイルランド人や黒人のなかから、共通する歪んだ感情が浮かび上がってくる。彼らは、苛酷な現実のなかで、IRAやギャングになることを余儀なくされる。そこで自分を見失い、泥沼から抜け出せなくなった者たちは、人種や階級の壁を越えて成功を手にする者を妬み、激しく憎悪するようになる。
筆者には、サムもそんな感情に囚われているように見える。執拗な拷問という抑圧にさらされ、帰還してみると家族の関係が一変している。そこで歪んだ感情が爆発するのだ。そんなサムが救われるためには、まず何よりも弟や妻という家族を信じるしかない。このように家族の絆がどこまでも掘り下げられ、試されるところに、シェリダン監督ならではの世界がある。 |