“コントロール”はビア作品のひとつのキーワードといえるかもしれない。『ある愛の風景』に登場するミカエルは、強い責任感と義務感を持ち、どんな罪でも償わなければならないし、償うことができると信じていた。ところがそんな彼は、アフガニスタンで取り返しのつかない罪を犯すことになる。『アフター・ウェディング』でも、ヨルゲンが世界をコントロールできると信じていることが、その後のドラマを際立たせるひとつの要因になっている。
一方、ヤコブの世界や姿勢は、ヨルゲンとはまったく対照的だ。彼が運営する孤児院は深刻な財政難に陥っている。インドの貧困の世界では、コントロールできることなど何もない。この映画では、ヨルゲンが用意したホテルにヤコブが案内される場面で、そんな彼の感情を垣間見ることができるだろう。その部屋は決して派手さはないが、あらゆる設備が埋め込まれ、アメニティが突きつめられている。ヤコブはそんな空間を醒めた目で見渡す。快適であるはずの空間ではあるが、その胸中は穏やかではない。
そして、ふたりの主人公にそれぞれに思いもよらない出来事が起こる。ヨルゲンは、自分の余命が残り少ないことを知る。ヤコブは、自分に娘がいて、目の前で結婚式を挙げていたことを知る。
彼らはそんな事態にどう対処するのか。最初はどちらも、これまでそういうものだと信じてきた自分として行動しようとする。ヨルゲンは、自分の地位や財力によって自分の手の届かない未来までもコントロールしようとする。何もコントロールできないヤコブは、結果がわかっていても理想を貫くしかない。
監督のビアは、そんなふたりが、それぞれにひとりの父親としての愛に突き動かされ、自分に目覚めていく姿を、彼らに寄りそうようなアプローチでリアルに描き出している。
ヨルゲンは父親として、確かに血の繋がりのない娘を愛し、大切に育ててきた。だが、その愛情にはどこかに実業家としての側面が含まれていた。だから、結果として不誠実な男との結婚を積極的に受け入れていた。彼は新郎の資質を見抜ける立場にいたにもかかわらず。ヤコブは、インド人の孤児のプラモドと自分の息子のように接していた。しかし、それは理想に支えられた愛情だった。彼は自分の娘と正面から向き合うことで、その違いを理解する。
そして、ヨルゲンとヤコブは、『ある愛の風景』のサラと同じように、思いもよらない出来事をきっかけにより深い愛に目覚めるのだ。 |