■■崩壊しつつある家族がそれぞれに求める救いとは■■
スコット・マクギーとデヴィッド・シーゲルのコンビが監督した『綴り字のシーズン』は、家族を題材にした多くのアメリカ映画のなかでも異彩を放つ作品だ。
父親は宗教学の教授、母親は科学者、兄は優等生という教養豊かな一家のなかで、妹のイライザはこれまで目立たない存在だった。ところが、“スペリング・コンテスト”に出場した彼女は、校内や地区の大会を勝ち進み、隠れた能力を開花させていく。と同時に、完璧に見えた家族から様々な歪みが浮かび上がり、結束が揺らぎだす。
この映画は、そんな家族の軋みや亀裂を、精神的な次元でとらえようとする。常に完璧を求め、家族の精神的な支柱となっていた父親は、快進撃を続ける娘にある可能性を見出す。彼は、文字と深く関わるユダヤ教神秘主義の秘儀を極めることができなかったが、彼女なら会得できると確信し、個人教授にのめり込む。
これまで父親の期待を一身に背負ってきた兄は、そのことに反発を覚え、ハレ・クリシュナという異教に救いを求める。さらに、父親が唱える神秘主義による世界の修復というヴィジョンに支えられ、過去のトラウマを乗り越えようとしてきた母親は、自分だけの閉じた世界を構築していく。
そして、全米大会に出場し、頂点を目前にしたイライザは、そんな壊れかけた家族を修復するために、意外な行動に出るのだ。
■■大自然のなかで伝統と近代化の境界に立つ少女と犬の絆■■
一方、『らくだの涙』で注目されたビャンバスレン・ダバー監督が作り上げた劇映画『天空の草原のナンサ』には、『綴り字のシーズン』とは対極ともいえる環境を生きる家族の姿がある。この映画が映し出すのは、モンゴルの広大な草原とそこに生きる遊牧民の家族の日常だ。
主人公は、両親と6歳になる長女のナンサ、その妹と弟の5人家族。ドキュメンタリーの監督らしく、母親がチーズを作ったり、一家がゲル(移動式住居)を解体していく過程などが、事細かに記録されている。また、日常のなかで子供がごく自然に自立心を養う姿も目を引く。ナンサは6歳にして馬を駆り、ひとりで羊の群れを率いて放牧に出る。
しかし、彼らの伝統的な生活は決して磐石ではない。この映画は、近代化がひたひたと迫ってくるような難しい状況を、人間と犬の関係を通して表現している。ナンサは洞穴で子犬を見つけ、家に連れ帰る。父親はそれを飼うことを許さないが、それでも彼女は手放すことができない。
素朴でありきたりなエピソードに見えるが、そこには深い意味がある。老婆が語る“黄色い犬の伝説”や犬の埋葬における習慣は、輪廻において人間と犬が非常に近い関係にあることを物語る。その一方でこのドラマには、豊かな生活を求めて都市部に出る遊牧民が、飼犬を草原に残し、野生化した犬が家畜を襲うという現実がある。それは、伝統や神話の崩壊を意味する。
ナンサと子犬のエピソードは、そんなふたつの世界の境界にあり、神話が甦るかのようなラストを印象深いものにしているのだ。
■■ルーツにまつわる心の傷を癒す音楽の神秘的な力■■
トニー・ガトリフ監督の『愛より強い旅』は、アルジェリアに生まれ、60年代初頭に13歳で家族とともにフランスに渡ったガトリフが、そのルーツをたどろうとする自伝的な要素を持った作品だ。
ガトリフの分身ともいえるザノは、両親が捨てざるを得なかった祖国を自分の目で見ようと決意し、同じようにアフリカにルーツがある恋人のナイマとともにパリの公団住宅を旅立つ。これは、そんなふたりが、スペイン、モロッコを経てアルジェリアに至るロード・ムーヴィーだ。
ガトリフの作品には音楽が欠かせないが、この映画では、テクノ、フラメンコ、ライ、スーフィー音楽など、土地や文化と結びついた音楽と主人公の男女の肉体が、これまで以上に深く共鳴していく。特に、彼らの背中の対比には注目すべきものがある。
映画はザノの背中のクローズアップから始まるが、それはルーツに向かう肉体を象徴している。一方、ナイマの背中には傷跡があるが、彼女はそれについて何も語ろうとはしない。その背中は、ルーツに怯える肉体を象徴しているといってもよいだろう。 |