ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ・インタビュー 03
Interview with Jean-Pierre et Luc Dardenne 03


2005年 渋谷
ある子供/L'Enfant/The Child――2005年/フランス=ベルギー/カラー/95分/ヴィスタ/ドルビーSRD
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(初出:「キネマ旬報」2005年12月下旬号)

 

 

主人公の軽さと抵抗するものの重み
――『ある子供』(2005)

 

 『イゴールの約束』のイゴールと父親、『ロゼッタ』のロゼッタと母親、『息子のまなざし』のオリヴィエと彼の息子の命を奪った少年。これまでのダルデンヌ兄弟の作品では、若者とその親の世代の関係が、ドラマのなかで重要な位置を占めていた。そんな世代への関心は、彼らのバックグラウンドと無縁ではない。兄弟は、労働者のコミュニティで成長し、その変化を目の当たりにし、そして今でもそこを舞台に映画を作り続けている。

「かつては労働運動が、社会全体とはいわないまでも、社会的な関係のストラクチャーを決定していたといってもいいでしょう。私たちは労働者階級の出身ではありませんが、当時は確かに労働運動が社会環境をすべてのレベルで決めていたと思います。ところが70年代にそれが消えてしまいました。経済危機が起こり、工場が閉鎖され、労働者階級がそれまで体現してきたような力を失ってしまったのです」

 『イゴールの約束』と『ロゼッタ』では、コミュニティが崩壊し、親がロールモデルと成りえなくなった社会のなかで、孤立する若者がいかにして人間性を獲得していくのかが描き出された。『息子のまなざし』では、若い世代に伝えるべきものをまだ保持している大人の人間性や強度が試された。これに対して、新作の『ある子供』からは、若者と親の世代とは異なる関係が浮かび上がってくる。

「『ある子供』ではまず何よりも、年長者と若者という縦の関係ではなく、もっと違う関係を描きたいと思いました。そこで、同じレベルに立っているふたりの関係を描く、しかもラブストーリーにしたいというのが出発点になりました。最初に考えたのは、子供がいる若い女性が、父親になってくれる人を捜すというストーリーでした。しかし、父親の人物像を作り上げるうちに、彼の方が主人公になっていきました。父親が自分自身の子供を売る。そんなひどいことをしてしまった後で、ソニアの愛を取り戻せるのか、愛だけで変われるのか、父親になれるのか、他者に対して感情を持つ人間になれるのか、というような問いが前面に出てきたのです」

 映画の導入部では、ブリュノとソニアの無邪気な戯れが、軽やかなカメラワークで生き生きと描き出される。彼らは同じような若者に見える。ところが、ブリュノが何の抵抗もなく子供を売ることで、実は彼らがまったく違う人間であることが明らかになる。

「その通りです、ソニアの場合は、ごく自然にすぐに母親になれる。実際に演技をした女優にとっても、生きた赤ちゃんを抱くことはとても重要なことでした。そして、子供を売られた後に、彼女の母親としての感情がより強くなっていきます。子供を売られたことを知った彼女は、気を失って倒れますが、それから彼女は別の重みを持ちます。ところが、ブリュノの場合は、子供の大切さがまったくわかっていない。彼は、子供を売っても、またもうひとり作ればいいといっている。しかも、子供を売ったために、もはやソニアに愛されなくなる可能性があるということすら考えていないのです」

 そんなブリュノが変化する過程で印象深いのが、乳母車とスクーターのコントラストだ。ブリュノは子供を取り戻しはするものの、信頼を失い、空の乳母車とともに追い出される。彼はその乳母車を売り払う。金に困った彼は、スクーターを持っている年下の少年とひったくりを企み、結局、少年だけが補導されてしまう。その後で、彼がスクーターを押していく姿は、空の乳母車を押す姿にダブる。

「あの場面では、また売りにいくのではないかと想像することもできます。興味深いのは、彼が抵抗のあるものを押しているということです。スクーターはパンクしてますから、押すのは簡単ではない。ブリュノはこれまで身軽にあちこち動き回って、売ったり買ったりしてきた人間でした。そんな彼が初めて抵抗するものを押すことで、彼に少し重みができる、抵抗するものの重みを感じるのです」

 『ある子供』とこれまでの作品との違いは、重さと軽さをめぐる描写にもはっきりと現れている。『ロゼッタ』や『息子のまなざし』では、重荷を背負ったロゼッタやオリヴィエが最後に解放される。これに対して『ある子供』では、軽やかな存在であったブリュノとソニアが、それぞれに異なる形で重さを獲得していく。そしてラストでふたりは、対等となったお互いの存在の重みを確認するのだ。


◆プロフィール◆
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
兄のジャン=ピエールは1951年4月21日、弟のリュックは1954年3月10日にベルギーのリエージュ近郊で生まれる。リエージュは工業地帯であり、労働闘争のメッカでもあった。ジャン=ピエールは舞台演出家を目指して、ブリュッセルへ移り、そこで演劇界、映画界で活躍していたアルマン・ガッティと出会う。その後、ふたりはガッティの下で暮らすようになり、芸術や政治の面で多大な影響を彼から受け、映画製作を手伝う。原子力発電所で働いて得た資金で機材を買い、労働者階級の団地に住み込み、土地整備や都市計画の問題を描くドキュメンタリー作品を74年から製作しはじめる。同時に75年にはドキュメンタリー製作会社「Derives」を設立する。78年に初のドキュメンタリー映画“Le Chant du Rossignol”を監督し、その後もレジスタンス活動、ゼネスト、ポーランド移民といった様々な題材のドキュメンタリー映画を撮りつづける。86年、ルネ・カリスキーの戯曲を脚色した初の長編劇映画「ファルシュ」を監督、ベルリン、カンヌなどの映画祭に出品される。92年に第2作「あなたを想う」を撮るが、会社側の圧力による妥協の連続で、ふたりにはまったく満足できない作品となってしまう。
前作の失敗に懲りた彼らは、第3作『イゴールの約束』では決して妥協することのない環境で作品を製作、カンヌ国際映画祭国際芸術映画評論連盟賞をはじめ、多くの賞を獲得するなど、世界中で絶賛された。続く第4作『ロゼッタ』ではカンヌ国際映画祭でパルムドール大賞・主演女優賞を受賞、本国ベルギーの成功はもとより、フランスでも100館あまりで公開され、大きな反響を呼んだ。さらに2002年、第5作『息子のまなざし』でもカンヌ国際映画祭で主演男優賞とエキュメニック賞特別賞をW受賞した。
誰もがこれ以上の受賞はないだろう、と想像していた2005年カンヌ国際映画祭。なんと本作『ある子供』が2度目のパルムドール大賞受賞という快挙を成し遂げてしまった。近年では共同プロデューサーとして若手監督のサポートも積極的に行っており、2003年のカンヌでも、ソルヴェイグ・アンスパック監督作品『陽のあたる場所から』など、共同プロデュース作品が3作品上映された。いまや、他の追随を許さない、世界からその手腕を期待されている巨匠監督である。
(『ある子供』プレスより引用)
 
―ある子供―

※スタッフ、キャストは
『ある子供』レビューを参照のこと
 
 

 

(upload:2006/06/08)
 
 
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