■■ドキュメンタリーから劇映画へ■■
――ドキュメンタリーから劇映画に移行したのはどうしてですか。
LD 私たちは最初は芝居をやっていて、その後でビデオでドキュメンタリーを作るようになりました。最初、私たちは、政治的な意識を持った、きわめて闘争的なかたちでビデオを作っていました。労働者が住んでいる巨大な団地に行って、ルポルタージュのようなかたちで住人たちのポートレイトを作りました。
彼らは、一緒に住んでいても、お互いのことをほとんど知りませんでした。私たちは、その現地で定期的にそのポートレイトの上映会を開きました。そんなふうにして、住人たちがそれぞれにいろいろな過去を持っていることを知ってもらおうとしました。彼らは、過去にストライキなどの大きな運動に身を投じた人たちだったのです。
その後、私たちはドキュメンタリー・フィルムを作るようになりました。最初の作品は、ベルギーでナチスに対するレジスタンス運動をした人々のドキュメンタリーでした。2作目は60年代に起きた大きなストに関するもので、81年に今度は、ポーランドのクーデターに関する作品を作りました。
そうしているうちに、ドキュメンタリーに行き詰まりを感じるようになりました。私たちは、現実に根ざしたといっても、現在の人々が過去について語るというかたちで、過去に対するドキュメンタリーを作ってきたわけです。しかし私たちは、そこにもっと生き生きとした解釈や説明を与えたくなったのです。
でも現実を操作したのではドキュメンタリーになりません。そこでフィクションに移行した。これが理由のひとつです。
――理由のひとつということは、他にも理由があるのですか。
JPD 俳優と一緒に仕事がしたいという欲求がありました。この映画でやったようなことがやりたかった。つまり演出をして撮影する。ドキュメンタリーでは絶対に観られないことを撮影すること、15歳の少年が、ある男を死なせてしまい、その妻と子供の世話をして、妻である女性に向かって、夫が彼女の家の裏に埋められていることを告白する、
そういうシーンはドキュメンタリーでは絶対に撮れない。そういうシーンを演出し、物語を語ること、それがやりたかったんだと思います。
LD この作品と次に撮る作品で私たちが目指しているのは、登場人物を、その人物が何にでもなり得るような状況に置くということです。つまり、物質的に何もなくなって、社会や集団から切り離され、自分のよりどころがなくなって、何にでもなり得る状況、そうなった時にどうするのかという主題を扱っています。
そういう状況のなかで、その人物は、人間的でありつづけることも、人間性を失ってしまうことも両方できます。そうなったとき果たして個人は人間的でありつづけようとするか。ロジェと同じように、人殺しで犯罪者にもなり得る時に、どうやって人間的でありつづけることができるか。それを問う物語です。
■■自分を救う機会と神秘■■
――この映画には、あなた方の宗教観が反映されていると考えてよいのでしょうか。
JPD もちろん青少年の時代にキリスト教的な基盤で教育を受けていますから、どこかでそうした影響があるかもしれません。ドストエフスキーの話がさっき出ましたけれども、彼の小説もずいぶん宗教的な部分があります。私たちの映画においては、いつも人間にもう一度やり直すための機会が与えられている部分があります。
これは人間が自分、あるいは世界を救い、やり直すことができる機会といえます。
LD キリスト教だけではなく、ユダヤ=キリスト教文化の影響が私たちのなかにある。ユダヤ=キリスト教文化ですから、聖書のなかでも旧約と新約の両方です。旧約聖書のなかには、自分に凝り固まってしまい、他者に対して自分を開いていけないといった類の人々が出てきます。イゴールやロジェがまさにそうした自分に凝り固まってしまった人々です。
ところがイゴールは、だんだんと柔らかくなり、自分を開いていきます。そうやって彼の運命が変わっていくんです。ですから私たちの思想はまったく宗教的ではなくて、むしろ世俗的な、非宗教的なものです。社会に生まれてきて、そうやって固まってしまうこともある。しかし誰かによって新しい可能性が開くこともあれば、
ロジェのように自分に固まったまま終わってしまうこともある。ある時点で、人を殺してしまえば、状況が解決するのだけれども、そこで殺さない方を選ぶ、その選択の仕方は、宗教に属するものではなく、人間性の本質によるものでしょう。===>
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