ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ・インタビュー

1997年 渋谷
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(初出:日本版「Esquire」1997年7月号、加筆)
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人間的でありつづけることと自己の救済

 

 96年のカンヌ映画祭で注目を浴びたベルギー映画『イゴールの約束』は、ひとりの少年が自分に目覚めるまでを深い洞察に満ちた眼差しで見つめ、忘れがたい印象を残す作品である。監督は一貫して兄弟で映画を作りつづけるリュックとジャン=ピエール・ダルデンヌ。 彼らは最初ドキュメンタリーを表現の手段として選び、70年代後半から80年代前半にかけて数本の作品を監督し、その後劇映画に進出してきた。『イゴールの約束』は彼らにとって3作目の長編劇映画である。

 主人公は15歳の少年イゴール。彼は、自動車修理工場で働くかたわらで、父親の仕事を手伝っている。その仕事とは違法外国人労働者のフィクサーだ。ところがある日、アフリカ人労働者が工事現場から転落する。父親は重傷の労働者を病院に連れていこうとはせず、父子は彼を見殺しにしてしまう。 しかし、イゴールは彼が息を引きとる間際にある約束をし、その約束が少年に、自分と世界の関係の見直しを迫ることになる。

――『イゴールの約束』のシナリオを書くときに、ドストエフスキーの小説がヒントになったということですが。

リュック・ダルデンヌ(以下LD) 小説のなかのあるエピソードがヒントになりました。それは「カラマーゾフの兄弟」で、スタレーという人物が、彼の兄弟であるマルセルの死について語る場面です。16歳のマルセルは、死ぬ直前に母親に、自分はすべての人間、すべての事に対して罪があると言います。 母親は、殺人者や大泥棒ではないのだから、別にお前に罪があるわけではないと答えます。しかしマルセルは、いやそうではない、われわれ人間はすべての人間、すべての事に対して罪を犯していると言うのです。この時の罪悪感というものがヒントになりました。

『イゴールの約束』の物語は、イゴールが罪悪感を獲得するまでの道程だと考えることができます。それは自分から何もできないような罪悪感ではありません。テレビなどで戦争や殺人などの映像を観たとしても、こちらは何もできないし、現実を変えることはできません。 この映画が描くのは、行為に向かって移行ができるような罪悪感、それを持ったからこそ現実が変えられるような罪悪感です。

イゴールの父親のロジェは、何でも忘れようとする人間です。アミドゥを殺したことも忘れようとし、ルーマニア人からお金をとることすら忘れたりします。最後に父親がガレージに繋がれている時、彼はイゴールに向かって、もう終わったことだ、そんなことを思い出しても何の役にも立たないとはっきり言います。 ところがイゴールは、忘れる父親とは逆に、記憶を勝ち取るのです。彼がアシタに対してある種の借りがあると感じること、それが記憶のひとつのかたちです。また彼が、死んだアミドゥと交わした約束も、記憶のひとつのかたちです。

――小説がシナリオのヒントになることは、よくあることなのでしょうか。

ジャン=ピエール・ダルデンヌ(以下JPD) 映画を作っている限り、読むものすべてが影響を与えると思います。この『イゴールの約束』については、アメリカの黒人作家トニ・モリスンからずいぶんヒントをもらいました。映画と直接の関係はないにしても、雰囲気の面でモリスンに負うものがたくさんあります。 彼女のエクリチュールを要約するのは難しいのですが、彼女の小説では、物事が最初から現れているのではなく、徐々に見えてきます。最初から意味がはっきりしているのではなく、物語を追ってだんだんと意味が立ち現れてくる。そういうところに影響されてます。それから、間接的にではありますが、彼女の小説「ビラヴド」のヒロインが、 アシタという登場人物を作るのにヒントを与えてくれました。アシタの持っている尊厳とか決意の固さという点です。

 


◆プロフィール
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
『イゴールの約束』で一躍世界的な注目を集めるようになったリュック・ダルデンヌとジャン=ピエール・ダルデンヌは、ベルギー生まれの兄弟。兄のジャン=ピエールは高校卒業後に舞台演出家になることを目指して、 ブリュッセルへ移るが、そこで演劇界・映画界で活躍していたアルマン・ガッティに出会う。ジャン=ピエールは弟リュックとともに、ガッティの下で暮らすようになり、芸術や政治の面で多大な影響を彼から受けた。ガッティの映画製作を手伝った後、ダルデンヌ兄弟は74年からビデオ制作を始める。 原子力発電所で働くことで得た資金で機材を買い、ワロニア地方の労働者階級の団地に住み込み、土地整備や都市計画の問題を描くドキュメンタリー作品を制作する。同時に、75年にはドキュメンタリー制作会社「Derives」を設立する。
 78年には初のドキュメンタリー映画"Le Chant du Rossignol"を監督。ワロニア地方におけるレジスタンス活動を題材としたこの作品は、ベルギーのTV局が興味を示し、23分間放映された。彼らはその後も、1960年のゼネスト、自由ラジオ、ポーランド移民といった様々な題材のドキュメンタリー映画を監督し、 81年にはベルギーに戻ってきたアルマン・ガッティの映画"Nous etions tours des noms d'arabes"を共同製作し、リュックは助監督、ジャン=ピエールは撮影助手も務める。
 86年にはルネ・カリンスキーの戯曲に基づく初の劇映画"Falsch"を監督する。この作品はベルリン、カンヌといった映画祭には出品されたものの、世界的な精巧をおさめるまでには至らなかった。2本目の"Je pense a vous"(92)では、 アラン・レネやフランソワ・トリュフォーの脚本家として知られるジャン・グリュオーの脚本、アンゲロプロス作品の撮影監督ヨルゴス・アルヴァニティス、女優のファビエンヌ・バーブという豪華な顔ぶれのなか、会社側の圧力による妥協の連続で、自らが全く満足できない作品となってしまう。
 前作での失敗に懲りた彼らは、3作目である「イゴールの約束」を撮るにあたって、自分たちで資金を集め、自ら1年かけてシナリオを書き、決して妥協する必要のない環境を作り上げた。そしてその成果を作品に見事に結実させた。

(『イゴールの約束』プレスより引用)

 

 

 
 
 

■■ドキュメンタリーから劇映画へ■■

――ドキュメンタリーから劇映画に移行したのはどうしてですか。

LD 私たちは最初は芝居をやっていて、その後でビデオでドキュメンタリーを作るようになりました。最初、私たちは、政治的な意識を持った、きわめて闘争的なかたちでビデオを作っていました。労働者が住んでいる巨大な団地に行って、ルポルタージュのようなかたちで住人たちのポートレイトを作りました。 彼らは、一緒に住んでいても、お互いのことをほとんど知りませんでした。私たちは、その現地で定期的にそのポートレイトの上映会を開きました。そんなふうにして、住人たちがそれぞれにいろいろな過去を持っていることを知ってもらおうとしました。彼らは、過去にストライキなどの大きな運動に身を投じた人たちだったのです。

 その後、私たちはドキュメンタリー・フィルムを作るようになりました。最初の作品は、ベルギーでナチスに対するレジスタンス運動をした人々のドキュメンタリーでした。2作目は60年代に起きた大きなストに関するもので、81年に今度は、ポーランドのクーデターに関する作品を作りました。 そうしているうちに、ドキュメンタリーに行き詰まりを感じるようになりました。私たちは、現実に根ざしたといっても、現在の人々が過去について語るというかたちで、過去に対するドキュメンタリーを作ってきたわけです。しかし私たちは、そこにもっと生き生きとした解釈や説明を与えたくなったのです。 でも現実を操作したのではドキュメンタリーになりません。そこでフィクションに移行した。これが理由のひとつです。

――理由のひとつということは、他にも理由があるのですか。

JPD 俳優と一緒に仕事がしたいという欲求がありました。この映画でやったようなことがやりたかった。つまり演出をして撮影する。ドキュメンタリーでは絶対に観られないことを撮影すること、15歳の少年が、ある男を死なせてしまい、その妻と子供の世話をして、妻である女性に向かって、夫が彼女の家の裏に埋められていることを告白する、 そういうシーンはドキュメンタリーでは絶対に撮れない。そういうシーンを演出し、物語を語ること、それがやりたかったんだと思います。

LD この作品と次に撮る作品で私たちが目指しているのは、登場人物を、その人物が何にでもなり得るような状況に置くということです。つまり、物質的に何もなくなって、社会や集団から切り離され、自分のよりどころがなくなって、何にでもなり得る状況、そうなった時にどうするのかという主題を扱っています。 そういう状況のなかで、その人物は、人間的でありつづけることも、人間性を失ってしまうことも両方できます。そうなったとき果たして個人は人間的でありつづけようとするか。ロジェと同じように、人殺しで犯罪者にもなり得る時に、どうやって人間的でありつづけることができるか。それを問う物語です。

■■自分を救う機会と神秘■■

――この映画には、あなた方の宗教観が反映されていると考えてよいのでしょうか。

JPD もちろん青少年の時代にキリスト教的な基盤で教育を受けていますから、どこかでそうした影響があるかもしれません。ドストエフスキーの話がさっき出ましたけれども、彼の小説もずいぶん宗教的な部分があります。私たちの映画においては、いつも人間にもう一度やり直すための機会が与えられている部分があります。 これは人間が自分、あるいは世界を救い、やり直すことができる機会といえます。

LD キリスト教だけではなく、ユダヤ=キリスト教文化の影響が私たちのなかにある。ユダヤ=キリスト教文化ですから、聖書のなかでも旧約と新約の両方です。旧約聖書のなかには、自分に凝り固まってしまい、他者に対して自分を開いていけないといった類の人々が出てきます。イゴールやロジェがまさにそうした自分に凝り固まってしまった人々です。 ところがイゴールは、だんだんと柔らかくなり、自分を開いていきます。そうやって彼の運命が変わっていくんです。ですから私たちの思想はまったく宗教的ではなくて、むしろ世俗的な、非宗教的なものです。社会に生まれてきて、そうやって固まってしまうこともある。しかし誰かによって新しい可能性が開くこともあれば、 ロジェのように自分に固まったまま終わってしまうこともある。ある時点で、人を殺してしまえば、状況が解決するのだけれども、そこで殺さない方を選ぶ、その選択の仕方は、宗教に属するものではなく、人間性の本質によるものでしょう。===> 2ページへ続く

 
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