愛より強い旅(レビュー02)
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(2004) on IMDb


2004年/フランス/カラー/103分/シネスコ/ドルビーデジタル
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(初出:『愛より強い旅』キネマ旬報2006年1月上旬号)

 

 

ルーツを探求しつづけるガトリフの新たな旅

 

 ロマの血を引く学者イアン・ハンコックがロマの歴史を綴った『ジプシー差別の歴史と構造』の巻頭に、このような記述がある。「一九八九年に共産主義が崩壊して、最大のロマニ人口の住む東欧地域を遮断していた障壁がなくなって、仕事と政治的安住の地を求めて西ヨーロッパやカナダ、アメリカへと向かう巨大な流れが生じた」(注:ハンコックは、ロマを主にロマニと表記する)。その結果、ロマをめぐる諸問題がこれまで以上に大きな注目を集めるようになった。たとえば、イザベル・フォンセーカの『立ったまま埋めてくれ』には、冷戦以後の東欧諸国でロマが直面する問題が浮き彫りにされている。

 母親からロマの血を引き継ぎ、映画を通して自己のルーツを探求してきたトニー・ガトリフ。彼の作品もまた、そうした社会状況の変化と無縁ではない。彼のロマ民族三部作には、それが反映されている。未公開の第一弾『Les Princes』(83)は、パリ郊外におけるロマの生活を題材にしていることがわかっている。そこから、彼が描くロマの地図は大きく広がっていく。第二弾の『ラッチョ・ドローム』(93)では、インドのラジャスタンから、エジプト、トルコ、ルーマニア、ハンガリー、スロバキア、フランスを経て、スペインのアンダルシアに至るロマ千年の歴史と軌跡が描き出される。

 そして、第三弾の『ガッジョ・ディーロ』(97)では、ルーマニアのロマに焦点が絞られる。ルーマニアにはかつてロマの奴隷制が存在し、(92年の時点で)ロマが全人口の15%を占める最大の少数民族であったことを踏まえてみれば、それも頷けることだろう。また、『ベンゴ』(00)では、フラメンコの背景から、ヨーロッパ経由と北アフリカ経由という、ロマがアンダルシアに至るふたつのルートが浮かび上がり、『ラッチョ・ドローム』に描き出された地図が補強されている。

 そんなガトリフの新作『愛より強い旅』には、これまでとは異なるルーツの探求がある。この映画では、パリに暮らすザノが、恋人のナイマとともに、未知の故郷アルジェリアを目指す旅が描かれる。まだフランス領だったアルジェリアで生まれ、13歳の時に身ひとつでフランスに渡ったガトリフは、そんな設定を通してもうひとつのルーツを辿っていく。

 


◆スタッフ◆

監督/脚本   トニー・ガトリフ
Tony Gatlif
撮影 セリーヌ・ボゾン
Celine Bozon
編集 モニック・ダルトンヌ
Monique Dartonne
音楽 トニー・ガトリフ、デルフィーヌ・マントゥレ
Tony Gatlif, Delphine Mantoulet

◆キャスト◆

ザノ   ロマン・デュリス
Romain Duris
ナイマ ルブナ・アザバル
Lubna Azabal
レイラ レイラ・マクルフ
Leila Makhlouf
アビブ アビブ・シェック
Habib Cheik
サイッド ズイール・ガセム
Zouhir Gacem

(配給:日活)
 

 北アフリカにルーツを持つザノとナイマ。ふたりの身体には、ルーツに関わる深い傷があるが、その傷に対する彼らの姿勢はまったく対照的だ。ザノは旅のなかで、傷の背景を語り出す。彼の祖父は、反植民地主義の英雄で、1959年に拷問されて死んだ。両親は1962年にフランスに送還された。その後、両親とザノは、休暇に車で故郷に向かおうとしたが、交通事故に遭い、両親は亡くなり、ザノは足に火傷を負った。それ以来、ザノはヴァイオリンを弾いていない。だからこそ彼は、過去を取り戻そうとする。

 一方、ナイマは、背中の傷について堅く口を閉ざす。だが、旅の途中で出会ったアルジェリア人のレイラに対しては、過去を思い起こすことの不安よりも、同性であることの親近感が勝り、重い口を少しだけ開く。彼女の父親は、アラビア語も祖国のことも話したがらなかった。彼女は、14歳のときから放浪生活をしている。つまり、彼女には祖国と繋がるものが何もなく、辛い過去からひたすら逃れようとして彷徨いつづけてきたのだ。

 そのため、過去へと向かうことは、彼女にとって大きなプレッシャーとなる。映画の冒頭で、ザノが「アルジェリアに行かないか」と言い出したときに、彼女がゲラゲラ笑い出すのも、サッカー場で憑かれたように踊りまくるのも、プレッシャーをかき消そうとする行為なのだ。また、フラメンコ酒場で、見知らぬ男について行ってしまうのも、彼女が尻軽だからではない。フラメンコは、彼女の背中の傷と共鳴する。彼女は、甦る過去の痛みから逃れるために、刹那的な快楽を求めるのだ。そんな彼女は、アルジェリアに入ると、完全に落ち着きを失い、爪を噛みつづける。恋人同士の間にあるそうした隔たりには、祖国や過去に対するガトリフのアンビバレントな感情が反映されていると見るべきだろう。

 しかし、ナイマの心の傷は、スーフィー音楽の呪術的な力によって癒されていく。映画のラストで、穏やかな表情になった彼女が、オレンジの皮を剥き、ザノと分かち合う場面は実に印象的だ。そこで筆者が思い出すのは、『モンド』でニースの海岸に流れてくるオレンジのことだ。かつてガトリフは、筆者にこのように説明してくれた。「あのオレンジは、アルジェリアから流れてきます。アルジェリアには女性に殉教を強いるイスラムの宗派があって、4〜5年前までそんなことが行われていました。あのオレンジには殉教した女性たちの名前が書かれ、彼女たちに捧げるというメッセージになっています」。

 『モンド』で女性の苦悩を表わしていたオレンジは、この映画では再生と希望の象徴となっているのだ。


《参照/引用文献》
『ジプシー差別の歴史と構造 パーリア・シンドローム』イアン・ハンコック●
水谷驍訳(彩流社、2005年)
『立ったまま埋めてくれ』イザベル・フォンセーカ●
くぼたのぞみ訳(青土社、1998年)

(upload:2007/01/28)
 
 
《関連リンク》
トニー・ガトリフ・インタビュー ■
『ベンゴ』レビュー ■
『僕のスウィング』レビュー ■
『愛より強い旅』レビュー01 ■
『トランシルヴァニア』レビュー ■

 
 
 
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