それでは『ベンゴ』はどうだろうか。これはカコという男とそのファミリーの物語だ。カコは、カラバカ家の長男サンドロを殺して身を隠した兄のマリオをかばい、その代わりに命を狙われるマリオの息子ディエゴを、守り通そうとする。『ラッチョ・ドローム』や『ガッジョ・ディーロ』の神話的な物語には、ヒトラーやフランコ、チャウシェスクによる弾圧の歴史やもっと日常的な差別や迫害など、具体的な現実を取り込む広がりがあった。それに対して『ベンゴ』の物語は完結している。古典的とさえいえる。
この映画を観ていて、筆者がまず思い出したのは、『ガッジョ・ディーロ』に盛り込まれたあるエピソードである。ロマの音楽を集めだしたステェファンは、あるロマの女から"ウルザの冬の物語"という話を聞かされる。それはだいたいこんな内容だ。
ウルザは怒りにまかせて兄を殺してしまう。自分が犯した罪の重さに気づいた彼は、大空からも光からも逃げる。やがてザンビラという乙女が彼に恋をする。彼女は金持ちの娘だったが、父親はふたりが結ばれることを許さない。ウルザは自首して投獄され、ザンビラは食事をとることを拒む。父親は全財産を投げ打って、ウルザを助け、ふたりは結ばれる。
この物語が『ベンゴ』のそれに似ていると言いたいのではない。筆者が印象的だったのは、語り継がれる普遍的な物語が人を動かす力だ。ステェファンは言葉がわからないために、女の話をただ聞いている。その横でサビーナの目からは涙が溢れてくる。しかしステェファンは最終的にそんな物語を自分のものとする。
ガトリフが『ベンゴ』で試みたのは、このように語り継がれる普遍的な物語に、現代的な光をあて、スクリーンに生き生きと描きだすことなのではないかと思う。あるいは、この映画はロマ版『ゴッドファーザー』ともいえる。ファミリーを仕切り、守り通そうとするカコは、まさにドン・コルレオーネである。『ゴッドファーザー』は、シシリーの音楽にあわせて人々が踊るパーティの華やかさと、血で血を洗う壮絶な抗争が、強烈なコントラストを生みだしていたが、『ベンゴ』のフラメンコ・パーティとファミリーの対立も、それを髣髴させる。
振り返ってみると『ゴッドファーザー』の物語は、PARTUで描かれるように、復讐のドラマから始まっていた。ビトーは9歳のときに、マフィアのドンに父親を殺される。シシリーでは男にとって復讐は掟であったため、ビトーも殺されると考えた母親は、自分の命を犠牲にして、息子を逃がす。『ベンゴ』が『ゴッドファーザー』を連想させるのは、『ゴッドファーザー』の出発点にそんな復讐と犠牲の物語があるためでもある。
『ベンゴ』の神話的な物語は、『ゴッドファーザー』に通じる現代性と普遍性を持ち合わせ、それゆえ人々を引き込むのだ。 |