僕のスウィング

2002年/フランス/カラー/90分/シネスコ/ドルビーデジタル
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(初出:『僕のスウィング』劇場用パンフレット)
過去の作品を集約し、ロマの未来を見つめるガトリフの眼差し

 トニー・ガトリフ監督の新作『僕のスウィング』は、一本の作品のなかに、彼がこれまで様々なかたちで切り開いてきた世界が集約されているように見える。

 たとえば、この映画の主人公マックスの立場は、『ガッジョ・ディーロ』(97)を思い出させる。『ガッジョ・ディーロ』では、ルーマニアを訪れたフランス人の若者ステファンが、ロマの老人イジドールや美しいサビーナと出会い、ロマの人々と行動をともにするうちに彼らの喜びや苦悩を分かち合うようになる。『僕のスウィング』でも、マックスは白人の少年であり、ミラルドやスウィングとの交流を通して、ロマの文化や世界観に触れていく。

 それから、無垢で自由奔放な少年少女の姿や美しい自然をとらえた詩的な映像は、『モンド』(95)を髣髴させる。どこからともなく現れ、ニースの街を彷徨う少年モンドは、自然と交感し、人々の心を解きほぐしていく。『僕のスウィング』のスウィングもモンドのように自然に溶け込み、これまで小さな世界を生きてきたマックスは、彼女に導かれるようにして新たな世界を発見していく。

 『ベンゴ』(00)では、フラメンコが、主人公カコと彼の甥であるディエゴの深い絆を表していたが、この映画では、マヌーシュ・スウィングが、マックスとミラルドを結びつけていく。そして、『ラッチョ・ドローム』(92/93)や『ガッジョ・ディーロ』に、ヒトラーやフランコ、チャウシェスクによるロマ民族の迫害や虐殺の歴史が描き出されたように、この映画でも、マヌーシュの老婆の告白を通してナチによる虐殺の事実が明らかにされる。

 このように『僕のスウィング』にガトリフの世界が集約されているのは、彼がこの映画で、これまでとはまったく異なる視点からロマをとらえようとしていることと関係がある。


◆スタッフ◆

監督/脚本
トニー・ガトリフ
Tony Gatlif
撮影 クロード・ガルニエ
Claude Garnier
編集 モニック・ダルトンヌ
Monique Dartonne
音楽 マンディーノ・ラインハルト/ チャボロ・シュミット/ アブラティフ・チャラーニ/ トニー・ガトリフ
Mandino Reinhardt/ Tchavolo Schmitt/ Abdellatif Chaarani/ Tony Gatlif

◆キャスト◆

マックス
オスカー・コップ
Oscar Copp
スウィング ルー・レッシュ
Lou Rech
ミラルド チャボロ・シュミット
Tchavolo Schmitt
(配給:日活)

 2001年に来日したガトリフ監督に筆者がインタビューしたとき、彼は、ロマの現状についてこのように語っていた。「9世紀の頃から迫害に耐え、抵抗を続けてきたのに、70年代あたりからその姿勢を捨てるようになった。ロマの言葉を失い、特有の服装もすたれ、音楽まで失われだした。それ以前は何世紀にも渡ってまったく変わらずに残ってきたのに。社会的には迫害されても、文化的には侵略されることはなかった。ところが、グローバル化が進んでから、急速に特有の文化が衰退しだした」

 ガトリフは、そうした現状を踏まえ、これまでロマの埋もれた歴史や過去にこだわって、作品を作ってきた。『ラッチョ・ドローム』では、千年前に一群の人々がインドのラジャスタンを旅立つところから物語が始まり、中近東、ヨーロッパを経てスペインのアンダルシアに至る時空を越えた放浪の軌跡が描かれる。『ガッジョ・ディーロ』や『ベンゴ』は、具体的な歴史が描かれるわけではないが、過去が強く意識されている。『ガッジョ・ディーロ』のステファンは、亡父が遺したテープを手がかりに、ノラ・ルカという歌手を探すためにルーマニアを訪れる。『ベンゴ』でも、ファミリー同士の対立の発端は過去の悲劇にある。

 これに対して『僕のスウィング』は、ガトリフが未来を見つめる映画だ。先述のインタビューで彼は新作の構想をこのように語っていた。「親の言葉に全然耳を貸そうとしないロマの子供たちを中心に描きます。だから言葉も音楽も失っていく。これはもう現代の真実です。でもこれから先、できることなら悲劇的な結末は避けたい。そうでないと、私が映画で描いたものは、すべて民俗学博物館にでも収まることになりますから。それどころか考古学までいってしまうかもしれない(笑)」

 完成したこの作品では、ロマの子供にさらに白人のマックスが加わり、ロマ文化の未来がより広い視野でとらえられている。このドラマから見えてくるミラルドとスウィングとマックスの関係には皮肉なものがある。ミラルドは、ジャンゴ・ラインハルトを敬愛し、マヌーシュ・スウィングという文化を継承している。ロマの子供であるスウィングは、自由奔放に生きているように見えるものの、ロマの文化や歴史にはまったく無頓着だ。

 マックスもロマの文化や歴史を意識しているわけではないが、ミラルドの演奏やスウィングに惹かれていくうちに、そこに踏み込み、素直に受け入れていく。彼はミラルドから、譜面ではロマの音楽の本質が伝わらないこと、森に繁茂する植物には様々な力が秘められていること、さらにはおまじないによって好きな人の夢を見られることなどを学ぶ。そして、彼がそのおまじないを実行する場面などでは、彼よりもむしろスウィングの方が、ロマの世界の異邦人のように見えてくる。

 そんなロマ文化をめぐるマックスとスウィングの皮肉な関係は、ミラルドの死という悲劇によってより鮮明になる。ガトリフは、ロマの時間の概念についてこんなふうに語っていた。「ロマは今この時がすべてで、過去とか未来という概念を持ちません。過去、現在、未来をすべてひっくるめて、"テハラ"というひとつの言葉で表現してしまいます。昔は墓も持たなかった。精神が解放された後に残った身体は石ころと同じなのです。非常に重要な人が死んだ場合には、遺品もすべて燃やす。現世に生きた痕跡というしがらみをすべて消し去るのです」。

 ミラルドが亡くなったときには、その言葉通りに彼のギターもトレーラーも焼き払われる。ロマの未来を担うはずのスウィングには、彼が履いていた靴を除けばほとんど何も残らない。一方、マックスのなかには、ロマ文化の種が蒔かれているが、彼は母親のもとに帰っていかなければならない。彼の日記は、スウィングへの想いが込められているだけではなく、ロマについての貴重な記録ともいえるが、彼女はそれを読むことができない。

 ガトリフがこの映画に、これまで切り開いてきた世界を集約しているのは、ロマの遺産の未来を見つめようとしているからに他ならない。われわれは、譜面や文書ではその本質をとらえがたいロマの遺産が、ロマとその枠を越えた人々のなかに生き残っていく可能性についてあらためて考えさせられるのだ。

 
 

(upload:2004/02/14)
 
 
   
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