2001年に来日したガトリフ監督に筆者がインタビューしたとき、彼は、ロマの現状についてこのように語っていた。「9世紀の頃から迫害に耐え、抵抗を続けてきたのに、70年代あたりからその姿勢を捨てるようになった。ロマの言葉を失い、特有の服装もすたれ、音楽まで失われだした。それ以前は何世紀にも渡ってまったく変わらずに残ってきたのに。社会的には迫害されても、文化的には侵略されることはなかった。ところが、グローバル化が進んでから、急速に特有の文化が衰退しだした」
ガトリフは、そうした現状を踏まえ、これまでロマの埋もれた歴史や過去にこだわって、作品を作ってきた。『ラッチョ・ドローム』では、千年前に一群の人々がインドのラジャスタンを旅立つところから物語が始まり、中近東、ヨーロッパを経てスペインのアンダルシアに至る時空を越えた放浪の軌跡が描かれる。『ガッジョ・ディーロ』や『ベンゴ』は、具体的な歴史が描かれるわけではないが、過去が強く意識されている。『ガッジョ・ディーロ』のステファンは、亡父が遺したテープを手がかりに、ノラ・ルカという歌手を探すためにルーマニアを訪れる。『ベンゴ』でも、ファミリー同士の対立の発端は過去の悲劇にある。
これに対して『僕のスウィング』は、ガトリフが未来を見つめる映画だ。先述のインタビューで彼は新作の構想をこのように語っていた。「親の言葉に全然耳を貸そうとしないロマの子供たちを中心に描きます。だから言葉も音楽も失っていく。これはもう現代の真実です。でもこれから先、できることなら悲劇的な結末は避けたい。そうでないと、私が映画で描いたものは、すべて民俗学博物館にでも収まることになりますから。それどころか考古学までいってしまうかもしれない(笑)」
完成したこの作品では、ロマの子供にさらに白人のマックスが加わり、ロマ文化の未来がより広い視野でとらえられている。このドラマから見えてくるミラルドとスウィングとマックスの関係には皮肉なものがある。ミラルドは、ジャンゴ・ラインハルトを敬愛し、マヌーシュ・スウィングという文化を継承している。ロマの子供であるスウィングは、自由奔放に生きているように見えるものの、ロマの文化や歴史にはまったく無頓着だ。
マックスもロマの文化や歴史を意識しているわけではないが、ミラルドの演奏やスウィングに惹かれていくうちに、そこに踏み込み、素直に受け入れていく。彼はミラルドから、譜面ではロマの音楽の本質が伝わらないこと、森に繁茂する植物には様々な力が秘められていること、さらにはおまじないによって好きな人の夢を見られることなどを学ぶ。そして、彼がそのおまじないを実行する場面などでは、彼よりもむしろスウィングの方が、ロマの世界の異邦人のように見えてくる。
そんなロマ文化をめぐるマックスとスウィングの皮肉な関係は、ミラルドの死という悲劇によってより鮮明になる。ガトリフは、ロマの時間の概念についてこんなふうに語っていた。「ロマは今この時がすべてで、過去とか未来という概念を持ちません。過去、現在、未来をすべてひっくるめて、"テハラ"というひとつの言葉で表現してしまいます。昔は墓も持たなかった。精神が解放された後に残った身体は石ころと同じなのです。非常に重要な人が死んだ場合には、遺品もすべて燃やす。現世に生きた痕跡というしがらみをすべて消し去るのです」。
ミラルドが亡くなったときには、その言葉通りに彼のギターもトレーラーも焼き払われる。ロマの未来を担うはずのスウィングには、彼が履いていた靴を除けばほとんど何も残らない。一方、マックスのなかには、ロマ文化の種が蒔かれているが、彼は母親のもとに帰っていかなければならない。彼の日記は、スウィングへの想いが込められているだけではなく、ロマについての貴重な記録ともいえるが、彼女はそれを読むことができない。
ガトリフがこの映画に、これまで切り開いてきた世界を集約しているのは、ロマの遺産の未来を見つめようとしているからに他ならない。われわれは、譜面や文書ではその本質をとらえがたいロマの遺産が、ロマとその枠を越えた人々のなかに生き残っていく可能性についてあらためて考えさせられるのだ。 |