トニー・ガトリフの新作『トランシルヴァニア』は、主人公のジンガリナが、姿を消した恋人を探すために、彼の故郷トランシルヴァニアにたどり着くところから始まる。道連れは、フランスを一緒に旅立った親友のマリーと、ロマのミュージシャンである恋人の手がかりを得るために通訳として雇ったルミニツァ。
しかし、再会した恋人は、彼女が妊娠していることも知らずに、冷たく突き放す。傷ついた彼女は、次第にその土地に惹きつけられていく。通訳を解雇し、彼女に恋愛感情を抱くマリーとも別れた主人公は、愛を求めて彷徨う。そして、いい加減な商売をしながら放浪する男チャンガロと行動をともにするようになる。
ガトリフ作品は、音楽とダンス、そして風景がドラマを紡ぎ出していく。導入部のジンガリナとルミニツァは、見事に対照的だ。恋人のことしか頭にないジンガリナには音楽が響かない。ルミニツァは音楽を生きている。移動する車中では、アコーディオンと歌で雇い主を元気づけ、酒場ではロマの楽団の演奏に身体が勝手に反応する。
ジンガリナが恋人に捨てられたとき、祭りで賑わう通りのなかで、彼女のなかには哀しみに満ちた歌声だけが響く。そんな彼女は酒場で、過去を断ち切るかのように踊り、皿を割る。マリーも一緒に踊りだすが、その気持ちは届かない。チャンガロと出会ったジンガリナは、いつしかロマの衣装をまとい、全身に闘志を漲らせていく。
一方では、彼女の恋人探しや放浪が、風景を鮮やかに切り取っていく。抑圧の歴史を感じさせる陰鬱な町並み、異なる言葉を話す人々の生活、独自の文化を主張する祭り、チャウシェスク時代の遺物である閉鎖された工場や建設途中で放置されたビル、そして雪に覆われた平原。彼女は一見、現実のトランシルヴァニアに引き込まれていくように見える。
ガトリフはプレスのなかで、トランシルヴァニアへの関心をこう語っている。「ロマ族、ハンガリー人、ルーマニア人、ドイツ人が暮らし、数種の言語が飛び交っています。だからこそ、文化が交じり、いくつもの共同体が土地を平和に分け合い、それぞれの言語を話すこの地で映画を撮ることにこだわったのです」
しかし、トランシルヴァニアには、人種をめぐる悲劇もある。1989年にチャウシェスク政権が崩壊してから、中央及び東ヨーロッパでは、ロマに対する襲撃が立て続けに起こった。イザベル・フォンセーカの『立ったまま埋めてくれ』では、トランシルヴァニアの各地でルーマニア人やハンガリー人とロマの間に起こった悲劇に具体的に言及されている。ガトリフ自身ももちろんそれを承知している。ルーマニアを舞台にした彼の『ガッジョ・ディーロ』には、そうした事実を反映したと思われる悲劇が描かれているからだ。
ガトリフはこの新作で、トランシルヴァニアの政治的、社会的な側面ではなく、文化的、神話的な側面を引き出し、取り込んでいく。イタリア人のアーシア・アルジェント、トルコ系ドイツ人のビロル・ユーネル、クルド人の父とロシア人の母を持つアミラ・カサールというキャスティングも文化の多様性に結びつく。
この映画では、異なる文化、言語、人種、宗教などが交じり合い、時代も定かではない神話的な世界が切り開かれていく。それは、映画のなかに構築されたもうひとつのトランシルヴァニアなのだ。 |