『トレインスポッティング』のダニー・ボイルや『フル・モンティ』のピーター・カッタネオなど、快進撃をつづけるイギリス映画界では個性豊かな監督たちの台頭が著しいが、そんななかで異彩を放っているのがマイケル・ウィンターボトムだ。昨年(1997年)相次いで公開された彼の『日蔭のふたり』と『GO NOW』を観てもわかるように、彼は新世代のポップな感性とも旧世代のリアリズムとも一線を画す独自の道を歩んでいる。
今回公開になる『バタフライ・キス』はそのウィンターボトムの衝撃のデビュー作。それぞれに世界から孤立するユーニスとミリアムというふたりの女たちが現実の壁を越え、残酷な愛の試練の果てに救いを見出すまでの軌跡を描く異色のロード・ムーヴィだ。
ユーニスはハイウェイ沿いのガソリンスタンドを転々とし、神の存在を確かめようとするかのように殺人を繰り返す。そんな彼女に出会った内気なミリアムは、自分の殻を破るようにして彼女を追っていく。
文芸作品を映画化した『日蔭のふたり』、平凡な日常を背景にした『GO NOW』、そしてこの映画と彼は様々な題材を扱っているが、そこには共通する魅力がある。
「私は一般的な意味での物語というものに観客を引き込むような作り方はしたくない。観客が自分の考えや感情を自由に選択する余地を残しておきたい。それがある種の距離感を感じさせることになるかもしれないが、決めつけを極力排除し観客に委ねたいんだ」
彼の映画では、主人公たちが物語という束縛から解放され、その存在そのものがとても魅力的になる。『バタフライ・キス』では、ユーニスの過去についてはまったく説明がないが、彼女の姿や行動は多くのことを語りかけてくる。彼女は(旧約聖書からの引用である)ジュディスという女を捜し、いつも同じ歌を口ずさみ、肉体をボディピアスやチェーンで拘束している。
「私は彼女の外面を克明に描き、内面は謎のままにした。たとえば彼女は神に見捨てられたというが、私に興味があるのは一般的な宗教ではなく、あくまで彼女が神、あるいはジュディスという存在とどのように折り合いをつけるかということなんだ。彼女が口ずさむ歌は意味ありげだが、実はサッカーの応援歌で、そんなふうに逆に先入観を突き放すことも自由な解釈につながると思う」
イギリス社会は80年代に始まるサッチャリズムによって福祉社会から自由主義経済へと大転換し、アメリカ的な消費社会が広がり現在に至っているが、その陰では弱者が切り捨てられることになった(「サッチャリズムとイギリス映画」参照)。実はこの映画にはそんな現実も反映されている。
「サッチャーはこの世には社会などなく個人の集合でしかないという迷言をはいた。サッチャリズムによってイギリスは大きな変貌を遂げ、これまでだったら社会のなかに埋もれて見えなかったユーニスのような存在が炙り出されることになった。彼女は社会からも神からも見捨てられ、孤独感に苛まれている。だから私は彼女のような存在に興味を覚え、他のイギリスの監督がやっているような社会派リアリズムとはまったく違う独自の視点で描くことにしたんだ」 |