イギリスの新鋭マイケル・ウィンターボトム監督の長編デビュー作『バタフライ・キス』には、ユーニス(ユー)とミリアム(ミー)というふたりの女性が登場する。
北イングランドのランカシャーで、ユーニスは“ジュディス”という名前の女性を探し、ガソリンスタンドを訪ね歩く。いつも同じ歌を口ずさみ、身体にはボディピアスを埋め込み、鎖を巻きつけている。そして、彼女が去ったあとには店員の死体が残される。もうひとりの女性ミリアムもガソリンスタンドの店員だったが、片方の耳が難聴の彼女は、なぜかユーニスの声だけはよく聞こえる気がし、彼女と行動をともにするようになる。
ユーニスは殺人を繰り返していくが、このドラマではそれがニュースになることもないし、警察が登場することもない。ユーニスはほとんど不可視の存在で、ミリアムだけが彼女を認めるのだ。
この映画を観ながら筆者が最初の想起したのは、サッチャリズム以後のイギリスだ。80年代にアメリカ的な市場主義へと移行したことで、競争意識が高まり、経済は活性化したが、その陰では弱者が無慈悲に切り捨てられていった。ユーニスは、そんな弱者のひとりに見える。
この映画のプロモーションで来日したウィンターボトムに筆者がインタビューしたとき、彼はサッチャリズム以後についてこのように語っていた。
「ユーニスのような存在は、イギリス社会のなかに存在していながら見えなかった。サッチャーはこの世には社会などなく個人の集合でしかないという迷言をはいたが、その結果として社会に紛れて見えなかったユーニスのように孤立する人間の存在が炙り出されることになったんだ。私は社会からも神からも見離され、孤独に苛まれる人物に興味を感じた。でも、それを他のイギリスの監督がやっているような社会派リアリズムとは違う独自の視点で描きたかった」
ユーニスが彷徨う道路沿いの殺伐とした風景は、社会などない世界を思わせる。ユーニスは旧約聖書に登場するジュディスについて語るが、彼女を取り巻く世界には宗教や信仰に関わるものはなにも見出せない。ただ、そこにユーとミーがいるだけだ。皮肉なのは、彼女たちが出会う掃除機のセールスマンの口上が、現代における説教師のようにも見えることだ。
ユーニスは、サッチャリズムが弱者を切り捨てたように、殺人を繰り返すともいえる。そんな彼女は、最後にミリアムによって救済される。海を背景にしたクライマックスは残酷で美しい。『バタフライ・キス』は、サッチャリズム以後を最も斬新な切り口で表現した作品といっていいだろう。
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