アメリカ現代文学を代表する作家ジョン・アーヴィングの同名小説を映画化した『サイダーハウス・ルール』の舞台になるのは、20世紀半ばのアメリカ、メイン州。セント・クラウズの孤児院で生まれた主人公の若者ホーマーは、父のように自分を育ててくれたラーチ院長のもとで医学を学んでいた。
しかし、看護師や無邪気な子供たちに囲まれた平穏な日々のなかで、次第に自分の将来に疑問を抱くようになる。そんなある日、中絶のためにやって来たキャンディと恋人の軍人ウォリーと意気投合した彼は、孤児院を飛び出してしまう。そしてウォリーの母親が営むリンゴ園で働き、収穫人の宿舎“サイダーハウス”で暮らし、作業を仕切るミスター・ローズから仕事や人生について学んでいく。
この『サイダーハウス・ルール』の企画を最初に進めていたのは、マイケル・ウィンターボトム監督だった。これまでの監督作を振り返ってみればわかるように、彼は孤立した人間や孤児に強い関心を持っているので、この題材はうってつけのように思えた。ところが、原作者のアーヴィング自身が手がけた脚本がネックになったようだ。筆者がウィンターボトムにインタビューしたとき、彼は監督降板の事情を以下のように語っていた。
「来年撮影に入るつもりでジョン(・アーヴィング)自身に脚本を書いてもらったんだが、原作を越えるものではなかった。原作が大好きなのでそれを越える脚本なら映画化したけど、納得がいかなかったので自分から断った。おかげで(配給の)ミラマックスに違約金を取られて頭にきているけど、イヤなものはイヤなんだ」
その気持ちはわからないでもない。ウィンターボトムのオリジナリティは、まずなによりも明確な流れを持つ物語を描くことではなく、視覚に訴えるような状況を積み重ねていくことから生み出される。彼にとって孤立した人間や孤児とは、物語の呪縛から解き放たれ、状況によってその本質に迫ることができる極めて映像的な存在なのだ。これに対して、アーヴィングの読者であればすぐにわかるように、彼は“物語の力”を重視する。だから、ふたりのコラボレーションには無理があるのだ。
それでは、結果的に監督を引き受けることになったラッセ・ハルストレムの場合はどうか。彼もまた視覚に訴えるようなスタイルを持っている。彼の作品は、重力の働きや上下の動きに注目してみると面白い。
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