デニス・ホッパーは、アメリカのある映画雑誌のインタビューのなかで、過去40年間に観た映画でこの『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』の純粋さに匹敵する映画はないと語っていた。確かにとても純粋な映画だが、筆者が最も印象に残ったのは、少年の心の変化を、独特のユーモアを交えながら映像でとらえていくラッセ・ハルストレム監督の映画的なセンスである。
主人公の少年は、病気の母親と兄の3人で暮らす12歳のイングマル。コップに注がれたミルクをこぼさずに飲むこともできない不器用なこの少年は、運の悪さも手伝っていつも母親を悩ませている。そのためか、ついに母親の病状が悪化してしまい、彼は兄と別々に親戚のもとに預けられることになる。山麓の小さな村に住む叔父の家の住人となった少年は、男顔負けの腕白な少女サガや雑誌に載った女性下着の宣伝文句を読んでくれとせがむおじいちゃん、綱渡りの名人など、一風変わった人々と出会う。
ところで、決して恵まれた境遇にあるとはいえないこの少年は、よく星空を見上げながら考え事をする。しかし、そこに夢や憧れを投影するわけではない。彼はなにかドジを踏むたびに、人工衛星で打ち上げられ、宇宙で餓死したライカ犬のことを思う。ライカ犬の悲惨な運命に比べれば決して不幸ではない、と自分に言い聞かせるのだ。映画には、そのライカ犬の瞳に映っていたであろう星空がくり返し挿入され、少年のモノローグが重なる。
監督のハルストレムは、この“不幸”を見上げるという構図から独特のユーモアを引き出し、それを非常に自然なかたちでドラマに盛り込む。簡単にいえば、少年はドラマのなかで頻繁に墜落するのである。
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