カサノバ
Casanova  Casanova
(2005) on IMDb


2005年/アメリカ/カラー/112分/スコープサイズ/ドルビーデジタルDTS・SDDS
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(「Cut」2006年7月号、映画の境界線59、抜粋のうえ加筆)

 

 

上下の運動と水平移動
ハルストレムならではの空間の使い方

 

 『カサノバ』はラッセ・ハルストレムにとって『シッピング・ニュース』(01)以来の新作になるが、その間にこの監督の世界を想起させる作品に出会った。脚本家として活躍してきたピーター・ヘッジズの初監督作品『エイプリルの七面鳥』(03)だ。ヘッジズは、『ギルバート・グレイプ』(93)でハルストレムと監督・脚本家としてコンビを組んでいるが、彼らの空間の使い方には共通点がある。

 『ギルバート・グレイプ』で、町に縛りつけられているかのように動きがとれないギルバートの一家は、給水塔によじ登るとか、過食症による肥満で床にめり込むというように、上下に向かう運動によって自己主張している。そんな家族に対して、外部から彼らのもとに水平移動してくるヒロインは、救いの神のように見える。

 『エイプリルの七面鳥』では、ニューヨークに暮らすヒロインのエイプリルが、オーブンを探してアパートの階段を上り下りするうちに、文化の異なる他者との間に関係が生まれていく。そして、そんな関係が、エイプリルと郊外から水平移動してくる彼女の母親を和解に導くのだ。

 ハルストレムの持ち味ともいえるこの空間の使い方は、『ショコラ』(00)ではほとんど影を潜めてしまったが、『シッピング・ニュース』では復活していた。

 主人公のクオイルは、子供の頃から水中に沈んでいく感覚に囚われている。彼の妻は運転する車ごと川に転落して死亡する。クオイルがインク係として働く新聞社では、輪転機が新聞を上に向かって流しつづけ、彼が沈んでいることを印象づける。さらにそのイメージは、未来を暗示していたともいえる。なぜなら、彼はニューファンドランド島で新聞記者になることで浮上を始めるからだ。

 また、彼の祖先が暮らした“緑の家”がワイヤーで固定されていることと途中に盛り込まれる凧のイメージの繋がりにも注目すべきだろう。クオイルは、“緑の家”が糸の切れた凧のように風にさらわれるとき、すべての重荷から解き放たれることになるからだ。

 では、新作の『カサノバ』はどうか。18世紀のヴェネチアで、女たちを虜にし、浮名を流す伝説の男カサノバ。修道女にまで手を出した彼は、役人たちに追い回された挙句に逮捕され、不貞、放蕩、異端行為、家宅侵入などの罪で死刑を宣告されてしまう。


◆スタッフ◆
 
監督   ラッセ・ハルストレム
Lasse Hallstrom
脚本 ジェフリー・ハッチャー、キンバリー・シミ
Jeffrey Hatcher, Kimberly Simi
撮影 オリヴァー・ステイプルトン
Oliver Stapleton
編集 アンドリュー・モンドシェイン
Andrew Mondshein
音楽 アレクサンドル・デプラ
Alexandre Desplat
 
◆キャスト◆
 
カサノバ   ヒース・レジャー
Heath Ledger
フランチェスカ シエナ・ミラー
Sienna Miller
プッチ司教 ジェレミー・アイアンズ
Jeremy Irons
パブリッツィオ オリヴァー・プラット
Oliver Platt
アンドレア レナ・オリン
Lena Olin
ルポ オミッド・ジャリリ
Omid Djalili
ジョバンニ・ブルーニ チャーリー・コックス
Charlie Cox
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(配給:ブエナ ビスタ インターナショナル ジャパン)
 

 それでもヴェネチア総督の計らいでなんとか放免になるものの、教皇庁に目をつけられている彼には強力な後ろ盾を見つけ出す必要があった。そこで、名家の一人娘を口説いて婚約にこぎ着けるが、そんな彼の前に剣の腕と知性を兼ね備える令嬢が現れる。

 結果からいえば、期待したほどではなかったが、ハルストレムが独自の空間を演出しようとする試みにはそれなりに頷けるものがあった。

 映画の冒頭で、役人に追われるカサノバは、運河に転落しそうになりながら、大学の講堂に逃げ込む。そこでは、男装したヒロインのフランチェスカが、気球の模型を女性に見立てて「男と家事という重い砂袋さえなければ、女性は気球のように空を飛べる」と主張し、女性の解放を訴えている。追われるカサノバは、宙に浮かぶ気球に飛びつくが、模型は彼を支えきれずに墜落する。

 このエピソードはひとつの伏線になっている。なぜならやがてカサノバとフランチェスカは、本物の気球でヴェネチアの夜空に浮かび上がるからだ。そんなカサノバの行く手には絞首刑という窮地が待ち受けているが、結果的に救いの神となるような人物が水平移動してくることになる。

 もしハルストレムが、カサノバというキャラクターにもっと影や重荷を背負わせることができたなら、この空間の演出はドラマを視覚的に際立たせていたはずだ。映画の冒頭には、確かに影を暗示するエピソードがあることはあるが、どうせならカサノバを完全なマザコンにしてしまうくらいの冒険をしてもよかったのではないだろうか。


(upload:2013/01/14)
 
 
《関連リンク》
『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』 レビュー ■
『ギルバート・グレイプ』 レビュー ■
『サイダーハウス・ルール』 レビュー ■
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