『カサノバ』はラッセ・ハルストレムにとって『シッピング・ニュース』(01)以来の新作になるが、その間にこの監督の世界を想起させる作品に出会った。脚本家として活躍してきたピーター・ヘッジズの初監督作品『エイプリルの七面鳥』(03)だ。ヘッジズは、『ギルバート・グレイプ』(93)でハルストレムと監督・脚本家としてコンビを組んでいるが、彼らの空間の使い方には共通点がある。
『ギルバート・グレイプ』で、町に縛りつけられているかのように動きがとれないギルバートの一家は、給水塔によじ登るとか、過食症による肥満で床にめり込むというように、上下に向かう運動によって自己主張している。そんな家族に対して、外部から彼らのもとに水平移動してくるヒロインは、救いの神のように見える。
『エイプリルの七面鳥』では、ニューヨークに暮らすヒロインのエイプリルが、オーブンを探してアパートの階段を上り下りするうちに、文化の異なる他者との間に関係が生まれていく。そして、そんな関係が、エイプリルと郊外から水平移動してくる彼女の母親を和解に導くのだ。
ハルストレムの持ち味ともいえるこの空間の使い方は、『ショコラ』(00)ではほとんど影を潜めてしまったが、『シッピング・ニュース』では復活していた。
主人公のクオイルは、子供の頃から水中に沈んでいく感覚に囚われている。彼の妻は運転する車ごと川に転落して死亡する。クオイルがインク係として働く新聞社では、輪転機が新聞を上に向かって流しつづけ、彼が沈んでいることを印象づける。さらにそのイメージは、未来を暗示していたともいえる。なぜなら、彼はニューファンドランド島で新聞記者になることで浮上を始めるからだ。
また、彼の祖先が暮らした“緑の家”がワイヤーで固定されていることと途中に盛り込まれる凧のイメージの繋がりにも注目すべきだろう。クオイルは、“緑の家”が糸の切れた凧のように風にさらわれるとき、すべての重荷から解き放たれることになるからだ。
では、新作の『カサノバ』はどうか。18世紀のヴェネチアで、女たちを虜にし、浮名を流す伝説の男カサノバ。修道女にまで手を出した彼は、役人たちに追い回された挙句に逮捕され、不貞、放蕩、異端行為、家宅侵入などの罪で死刑を宣告されてしまう。 |