快進撃をつづけるイギリス映画界のなかで、新世代のポップな感性とも旧来の社会派的なリアリズムとも一線を画し、確固としたオリジナリティと作品を量産するバイタリティで独自の道を突っ走っているのがマイケル・ウィンターボトム監督だ。彼の作品は毎回題材や背景がまったく異なり、戸惑いを覚えるという人もいるかと思うが、そこには一貫した姿勢を感じとることができる。
たとえば、彼の映画の主人公たちがほとんど孤児であるという事実は、彼の姿勢を確認するためのヒントになるだろう。『バタフライ・キス』で強烈な印象を残す過激な殉教者ユーニスは世界から見捨てられた放浪者であり、『日蔭のふたり』のジュードは生まれながらに故郷を喪失した孤児であり、『ウェルカム・トゥ・サラエボ』のジャーナリストは一線を越えて孤児の少女と世界を共有する。
さらにウィンターボトムがこの新作『アイ ウォント ユー』の後に映画化を進めながら、脚本に満足できず自ら降板したジョン・アーヴィングの小説『サイダーハウス・ルール』もまた誰にも望まれることなくこの世に生を受けた孤児を主人公とした物語である。
彼がこのように孤児、あるいは故郷を喪失した異邦人にこだわるのは、ひとたび世界との関係を断たれた人間がどのように孤立し、空白を埋め、世界との折り合いをつけていくのかを掘り下げることによって、既成の物語に依存しない世界と人間の関係を視覚的に表現していくことができるからに他ならない。
新作『アイ ウォント ユー』では、そんな彼のこだわりが反映された登場人物たちの微妙な距離感から、世界が揺らいでいくような独特の空気が醸しだされていく。彼らは同じ海辺の町に存在しながら、内面的にはそれぞれに世界から孤立する異邦人になっている。
14歳のときに起こった不幸な事件で父親を亡くし、孤児となったヘレンは、ごく普通の生活を送っているかに見えるが、過去から逃れるために心に壁をめぐらし、人を寄せつけない。彼女の父親を殺害した罪で服役していた昔の恋人マーティンは、仮釈放となって町に舞い戻り、失った過去を取り戻そうとするが、保護観察官の存在が重い足枷となる。
故郷と母親、そして言葉を失った難民の少年ホンダは、日々の営みからこぼれてくる音を拾い集め、母親の記憶を引きずりながら音の残骸から世界を再構築していこうとする。
そんな彼らの想いは、それぞれに閉ざされた世界のなかで膨らみ、確実に飽和点へと向かっていく。物語の語り手でもあるホンダは、盗聴によってヘレンの闇の領域へと深く入り込み、隠れ家にしている船のなかに彼女の闇を映しだしていく。マーティンはヘレンに似た娼婦と時を過ごし、少しでも彼女に近づこうとする。
ヘレンの内面では、水槽やプール、あるいは水族館といった水のイメージが波止場から海中に投げ捨てられた父親の記憶にダブり、過去が執拗にまとわりつく。映画の空間は、そんなふうに心が触れ合うことなく想いをつのらせていく彼らの狭間で揺らぎ、隠された真実の露呈ともに崩壊の瞬間を迎えることになる。 |