[ストーリー] アフガニスタンの首都カブール。取材のためなら命すら惜しまない報道写真家レベッカが、自爆テロのための儀式と準備を行なう女たちを撮影している。さらに真実へと迫るためレベッカは、女たちに同行するが、爆発に巻き込まれ危うく命を落としかける。
家族が待つアイルランドへ帰ると、夫マーカスから思いもよらないことを告げられる。「もう無理だ」と。世界有数の写真エージェンシーと契約し、常に死と隣り合わせになりながらもアフガニスタン、コンゴなど紛争地帯へと赴き、トップクラスの報道写真家として仕事に邁進してきたレベッカ。だがマーカスはひと時も気の休まらない生活に疲れ、娘たちは母の死に怯えて暮らしていた。
家族の幸せのために、「もう戦地には戻らない」とマーカスと約束するレベッカ。仕事を優先するあまり、娘の誕生日すら一緒に祝えず、まともにキッチンすら立つことのなかった彼女は、取材の依頼を断り家族との時間を取り戻そうとするが――。[プレス参照]
北欧の映画界には、ストーリーで表現するのではなく、観察者としてある状況に置かれた人物たちに迫り、内面を炙り出したり、現実を掘り下げたりする監督たちがいるように思う。
たとえば、スウェーデンのルーカス・ムーディソン(『ショー・ミー・ラヴ』、『リリア 4-ever』、『マンモス 世界最大のSNSを創った男』)やリューベン・オストルンド(『インボランタリー(英題)』、『プレイ』、『フレンチアルプスで起きたこと』)、フィンランドのアク・ロウヒミエス(『フローズン・ランド(英題)』、『フローズン・シティ(英題)』、『ネイキッド・ハーバー(英題)』)だ。デンマークのトマス・ヴィンターベアやスサンネ・ビアの作品にもそういう要素がある。 |