『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟や『シックス・センス』のM・ナイト・シャマラン、これから公開になる『スリー・キングス』のデヴィッド・O・ラッセルや『マルコヴィッチの穴』のスパイク・ジョーンズなど、アメリカ映画界では新世代の監督たちの台頭が注目を集めている。
彼らの背景、キャリア、主題や表現スタイルは多様であり、特に共通点があるわけではない。ただひとつはっきりしているのは、現実と虚構のとらえ方がこれまでの監督たちとは違うということだ。彼らは確固とした現実を前提として魅力的な虚構の世界を構築しようとはしない。彼らにとって現実はすでに虚構に満ち満ちている。それゆえ現実ではなく虚構から世界を切り開き、そのなかで独自の現実をつかみとろうとする。
『ブギーナイツ』で注目されたポール・トーマス・アンダーソンも、そんな新世代を代表する監督のひとりである。彼は現実が虚構と化した時代の申し子だといえる。彼が育ち、好んで作品の舞台とするサンフェルナンド・バレーは、戦後いち早く郊外化が進み、アメリカの夢の象徴となったが、80年代には全米で最も離婚率の高い地域になっていた。その事実は“郊外の幸福な家族”が虚構だったことを物語っている。
しかし、サンフェルナンド・バレーでは、家庭が崩壊しても虚構は終わらない。ハリウッドからポルノやテレビ産業まで、様々なショービジネスの拠点になってもいるからだ。アンダーソンの作品には、そんな土地の特徴が巧みに反映されている。
70年代後半から80年代初頭のサンフェルナンド・バレーを舞台にした『ブギーナイツ』では、郊外の不毛な生活のなかで母親から負け犬呼ばわりされるエディが、ポルノ映画の監督にスカウトされ、スターとなると同時に擬似家族のような絆を見出していく。そして、新作の『マグノリア』でも、家族とショービジネスが結びつけられている。
この映画では、サンフェルナンド・バレーに暮らす12人の人物たちの一日が描かれる。それぞれに心に傷を抱えた彼らは、まさに虚構を生きているといえる。愛よりもテレビのプロデューサーとしての成功を選んだ老人は死の床にあり、彼を憎む息子は別人となってマチズモ(男性優位主義)の教祖を演じ、注目を浴びている。長寿クイズ番組の名物司会者は癌の宣告に動揺しながらも生放送の番組で司会をつづけ、彼を憎む娘はドラッグに溺れている。かつての天才クイズ少年は過去の栄光にすがり、現役の天才少年はいままさに屈辱にまみれようとしている。 |