ポール・トーマス・アンダーソンの新作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』では、19世紀末から20世紀初頭にかけてのカリフォルニアを舞台に、石油採掘によって富と権力を手にした山師ダニエル・プレインヴューの破滅的な人生が描き出される。左翼の作家アプトン・シンクレアが1927年に発表した小説『石油!』にインスパイアされたこの作品は、アンダーソンがこれまでとはまったく異なる題材に挑戦したような印象を与えるかもしれないが、本質は何も変わっていない。これは、彼が一貫して追求してきたテーマの核心に迫る作品というべきだろう。
アンダーソンのこれまでの作品から新作への展開は、筆者にステファニー・クーンツの『家族という神話』を想起させる。クーンツは本書で、まず1950年代に作り上げられたサバービアの家族のイメージを解体し、そこから新世界への移住が始まる直前のヨーロッパまで時代を遡り、アメリカの家族の変遷を浮き彫りにしていく。そこで鍵を握るのは、個人主義、自由主義、自助の精神といったものの位置づけだ。たとえば本書には、以下のような記述がある。
「人間は、互いの依存関係によってではなく、自身の努力と達成によって獲得された報酬だけを頼りとする、基本的に自助の精神をもつ独立した存在であるという定義づけがひとたびなされると、家庭や恋愛だけが非契約的サービスや贈り物の交換の場となっていった。利他主義の場としての家庭の理想化は、個人主義と市場原理が支配する社会の出現と同時並行して進んでいったように思える」
アンダーソンの作品では常に、個人主義と家族が対置されている。それは、彼がサンフェルナンド・ヴァレーで育ったことと無縁ではない。戦後いち早く郊外化が進み、80年代半ばには全米で最も高い離婚率を記録することになったこの地域で、彼は家族とは何かという疑問を抱き、自分のテーマを見出した。
『ハードエイト』に登場する老いたギャンブラーは、妻子との絆を失った個人主義者だが、ある事件をきっかけに居場所のない男に救いの手を差し伸べ、親子の絆を作り上げていく。『ブギーナイツ』の主人公は、彼を負け犬扱いする家族を見返すためにポルノ映画のスターになり、やがてもうひとつの家族を発見していく。『マグノリア』には、ショービジネスで成功し、崩壊した家族という過去から逃れようとする人々が登場する。だが、彼らは、血の繋がりを完全に断ち切ることはできない。『パンチドランク・ラブ』の主人公が、食品会社のキャンペーンを利用して伝説のプリン男≠ノなるのは、決して得をしようとしたからではない。家庭で七人の姉に振り回され、孤立してきた彼は、自分にも独力で何かができることを証明しようとしたのだ。
この新作に登場する山師ダニエルは、そんな主人公たちの原型といえる。映画は、彼がひとりで金の採掘をする場面から始まる。爆薬も使う採掘には大きな危険がともなうが、彼は決して他人に頼ろうとはしない。アンダーソンは、そんな個人主義者がいかなる変貌を遂げていくのかを冷徹な眼差しで描き出していく。このドラマでは、個人主義と家族に対する彼の深いこだわりが、ダニエルと三人の人物との関係に端的に表れている。 |