インヒアレント・ヴァイス
Inherent Vice


2014年/アメリカ/カラー/149分/ヴィスタ/5.1chリニアPCM
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(初出:)

 

 

アンダーソンのカリフォルニア年代記・最終章か?
組織、消費社会、サバーバン・ライフに抵抗する探偵

 

[ストーリー] ロサンゼルスに住む、私立探偵のドックの前に、今も忘れられない元カノのシャスタが現れる。不動産王で大富豪の愛人になったシャスタはドックに、カレの妻とその恋人の悪だくみを暴いてほしいと依頼する。だが、捜査に踏み出したドックは殺人の濡れ衣を着せられ、大富豪もシャスタも失踪してしまう。ドックは巨額が動く土地開発に絡む、国際麻薬組織のきな臭い陰謀に引き寄せられていく。果たして、シャスタの行方は?この事件の先に“愛”はあるのか!?[プレスより]

 ロサンゼルス郊外のサンフェルナンド・ヴァレーで育ったポール・トーマス・アンダーソンは、これまでずっとカリフォルニアを舞台にした映画を作りつづけている。

 『ブギーナイツ』(97)、『マグノリア』(99)、『パンチドランク・ラブ』(02)といった初期の作品では、彼がよく知るであろうサンフェルナンド・ヴァレーが舞台になっていた。そのドラマでは、家族と擬似家族、現実と虚構が絡み合う。サンフェルナンド・ヴァレーという舞台を踏まえるなら、そんなヴィジョンが切り拓かれるのも頷ける。そこは、アメリカのサバービアを象徴するような世界であると同時に、映画やテレビからポルノまでショービジネスの拠点にもなっていた。だから、そんな要素が絡み合うことになるのだ。

 そして、その後の作品では、時代的にも地理的にもサンフェルナンド・ヴァレーからは離れるが、カリフォルニアから離れることはない。アプトン・シンクレアの『石油!』にインスパイアされた『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07)では、19世紀末から20世紀初頭にかけてのカリフォルニアが舞台になる。50年代にサイエントロジー教会を設立したL・ロン・ハバードにインスパイアされた『ザ・マスター』(12)では、戦後から50年代にかけてのカリフォルニアが舞台になる。そして、トマス・ピンチョンの『LAヴァイス』を映画化した新作『インヒアレント・ヴァイス』(14)では、1970年のカリフォルニアが舞台になる。

 この3作品は、アンダーソンの独自の視点で描き出されたカリフォルニア年代記になっているといっていい。その独自の視点は、社会の変化を生み出す要素と深く結びついている。アンダーソンは、変化の波にさらされることによって浮かび上がってくるような個人主義、自助の精神、家族、組織の関係をとらえようとする。

 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で変化を生み出す要素になるのは石油だ。主人公の山師ダニエルは自助の精神を信奉する個人主義者だが、石油の採掘はひとりでは難しい。だから彼も他人と組み、ある事故をきっかけに息子を得て擬似家族が生まれる。そんな息子に対するダニエルの感情は両義的だ。一方では、息子の存在を利用している。家族がパートナーであれば、投資や土地の買収の交渉に際して信頼を得られるからだ。そしてもう一方では、自分と息子を結ぶ石油が血に変わることを望んでいる。だが、油井の炎上とともに関係に亀裂が生じ、やがて彼は、個人主義と家族の境界に立たされる。


◆スタッフ◆
 
監督/脚本/製作   ポール・トーマス・アンダーソン
Paul Thomas Anderson
原作 トマス・ピンチョン
Thomas Pynchon
撮影 ロバート・エルスウィット
Robert Elswit
編集 レスリー・ジョーンズ
Leslie Jones
音楽 ジョニー・グリーンウッド
Jonny Greenwood
 
◆キャスト◆
 
ラリー・“ドッグ”・スポーテッロ   ホアキン・フェニックス
Joaquin Phoenix
クリスチャン・F・“ビッグフット”・ビョルンセン警部補 ジョシュ・ブローリン
Josh Brolin
コーイ・ハーリンゲン オーウェン・ウィルソン
Owen Wilson
シャスタ・フェイ・ヘップワース キャサリン・ウォーターストン
Katherine Waterston
ペニー・キンボル地方検事補 リース・ウィザースプーン
Reese Witherspoon
ソンチョ・スマイラックス弁護士 ベニチオ・デル・トロ
Benicio Del Toro
ドクター・ルーディ・ブラットノイド歯科医師 マーティン・ショート
Martin Short
ホープ・ハーリンゲン ジェナ・マローン
Jena Malone
ソルティレージュ ジョアンナ・ニューサム
Joanna Newsom
マイケル(ミッキー)・ザカリ・ウルフマン エリック・ロバーツ
Eric Roberts
ジェイド ホン・チャウ
Hong Chau
ペチュニア・リーウェイ マーヤ・ルドルフ
Maya Rudolph
ジャポニカ・フェンウェイ サーシャ・ピーターズ
Sasha Pieterse
タリク・カーリル マイケル・ケネス・ウィリアムズ
Michael Kenneth Williams
リートおばさん ジーニー・バーリン
Jeannie Berlin
-
(配給:ワーナー・ブラザーズ映画)
 

 『ザ・マスター』における変化の要素は少々複雑だ。50年代はサバービアの黄金時代として見れば楽天的な印象を与えるが、経済的には個人が組織に取り込まれ、しかも冷戦を背景に個人や家族が国家によって抑圧されていた。この映画ではそんな状況を背景に、ハバードをモデルにした新興宗教の指導者ランカスターと、アルコール依存症の帰還兵フレディの絆の変化が描かれる。彼らの関係は、そんな社会と距離を置く(あるいは順応できない)個人と個人の交流から擬似家族へと発展していくが、ランカスターの精神的な基盤が科学から神秘的、宗教的な世界に移行するに従って溝が深まり、組織と個人の間で引き裂かれていく。

 これに対して『インヒアレント・ヴァイス』の場合は、前2作と単純に結びつけることはできない。ナラティヴにおけるスタイルが違うからだ。たとえば、主人公ドックの事務所の元従業員であるソルティレージュの役割だ。この映画では、ハープ奏者/シンガーのジョアンナ・ニューサムが演じる彼女がナレーターも務め、ピンチョンの原作のテイストをドラマに取り込む役割も果たす。それだけでも、前2作の生々しいリアリティとは一線を画すドラマになっていることがわかる。

 映画の背景になる70年のロサンゼルスでは、60年代のカウンターカルチャーも、カリフォルニア・ドリームも退潮に向かっている。その代わりに、現代消費社会が主人公の私立探偵ドックが生きる世界を侵食しつつある。

 土地開発のブームによって、真新しいサバービアが広がっていく。ドックの前に姿を現わしたかつての恋人シャスタは、ヒッピースタイルをやめて、堅気のファッションに身を包み、不動産王の愛人になっている。調査を進めるドックが、不動産王の屋敷のクローゼットで目にするネクタイには、それぞれにシャスタを含む女たちがプリントされている。彼女たちも、カタログ化され、消費されている。さらに調査を進める彼は、国際的なネットワークを使ってヘロインを取引する組織と関係を持つことになる。その組織は、リハビリ施設や歯科医院にまでビジネスを広げ、帝国を築こうとしている。

 このドラマでは、前2作のようにドックが擬似家族的な関係を築くことはないが、彼とかなりいかれたロス市警の警部補ビッグフットの腐れ縁は興味深い。ビッグフットは刑事の職務を遂行するかたわら、アルバイトで刑事ドラマや不動産会社のCMに出演し、郊外の家庭では口うるさい妻から始終小言をいわれている。彼は組織と消費社会とサバーバン・ライフにどっぷり浸かりつつ、やるせない気持ちを抱え、ドックにはけ口を見出している。さらにやがて、ある過去の出来事を引きずっていることもわかる。

 また、ドックが扱うことになるもうひとつの事件も見逃せない。彼は、元麻薬常習者の未亡人ホープの依頼を受け、不審な点が残る夫コーイの死について調査することになる。そして、実はおとり捜査に関わるサックス奏者で、なぜか自身の死を偽装し、トパンガ・キャニオンに潜伏しているコーイを見つけ出すが、彼は組織に対する恐怖に支配され、身動きが取れなくなっている。

 ドックは優れた能力を持つ探偵ではないが、ビッグフットとの腐れ縁が彼の運命を変える。ビッグフットはドッグを使って、自分が引きずる過去を清算しようと目論み、命懸けのサバイバルを強いられたドックのもとに大量のヘロインが転がり込むはめになる。組織に対して無力に等しい彼は、それをどう処理するのか。

 ここで筆者が思い出していたのは、『パンチドランク・ラブ』のことだった。この映画は、ある食品会社のキャンペーンのスキをつき、プリンを12000個以上も購入して125万マイルのマイレージを獲得し、伝説の"プリン男"になった人物の実話にインスパイアされている。消費社会や女ばかりの家庭で抑圧され孤立するこの映画の主人公バリーは、大量のプリンによって消費社会に抵抗するといえる。

 ドックのもとに転がり込む大量のヘロインもまた世界を侵食する消費社会の産物であり、彼はそれを使ってささやかな抵抗を試みる。この映画の世界では、ほとんどの人間が組織、消費社会、サバーバン・ライフに埋没しているが、ドックは唯一、そこから戻れそうな男を救うことになる。やはり最終的に家族が絡むところがいかにもアンダーソンらしい。


(upload:2015/06/04)
 
 
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