『ザ・マスター』における変化の要素は少々複雑だ。50年代はサバービアの黄金時代として見れば楽天的な印象を与えるが、経済的には個人が組織に取り込まれ、しかも冷戦を背景に個人や家族が国家によって抑圧されていた。この映画ではそんな状況を背景に、ハバードをモデルにした新興宗教の指導者ランカスターと、アルコール依存症の帰還兵フレディの絆の変化が描かれる。彼らの関係は、そんな社会と距離を置く(あるいは順応できない)個人と個人の交流から擬似家族へと発展していくが、ランカスターの精神的な基盤が科学から神秘的、宗教的な世界に移行するに従って溝が深まり、組織と個人の間で引き裂かれていく。
これに対して『インヒアレント・ヴァイス』の場合は、前2作と単純に結びつけることはできない。ナラティヴにおけるスタイルが違うからだ。たとえば、主人公ドックの事務所の元従業員であるソルティレージュの役割だ。この映画では、ハープ奏者/シンガーのジョアンナ・ニューサムが演じる彼女がナレーターも務め、ピンチョンの原作のテイストをドラマに取り込む役割も果たす。それだけでも、前2作の生々しいリアリティとは一線を画すドラマになっていることがわかる。
映画の背景になる70年のロサンゼルスでは、60年代のカウンターカルチャーも、カリフォルニア・ドリームも退潮に向かっている。その代わりに、現代消費社会が主人公の私立探偵ドックが生きる世界を侵食しつつある。
土地開発のブームによって、真新しいサバービアが広がっていく。ドックの前に姿を現わしたかつての恋人シャスタは、ヒッピースタイルをやめて、堅気のファッションに身を包み、不動産王の愛人になっている。調査を進めるドックが、不動産王の屋敷のクローゼットで目にするネクタイには、それぞれにシャスタを含む女たちがプリントされている。彼女たちも、カタログ化され、消費されている。さらに調査を進める彼は、国際的なネットワークを使ってヘロインを取引する組織と関係を持つことになる。その組織は、リハビリ施設や歯科医院にまでビジネスを広げ、帝国を築こうとしている。
このドラマでは、前2作のようにドックが擬似家族的な関係を築くことはないが、彼とかなりいかれたロス市警の警部補ビッグフットの腐れ縁は興味深い。ビッグフットは刑事の職務を遂行するかたわら、アルバイトで刑事ドラマや不動産会社のCMに出演し、郊外の家庭では口うるさい妻から始終小言をいわれている。彼は組織と消費社会とサバーバン・ライフにどっぷり浸かりつつ、やるせない気持ちを抱え、ドックにはけ口を見出している。さらにやがて、ある過去の出来事を引きずっていることもわかる。
また、ドックが扱うことになるもうひとつの事件も見逃せない。彼は、元麻薬常習者の未亡人ホープの依頼を受け、不審な点が残る夫コーイの死について調査することになる。そして、実はおとり捜査に関わるサックス奏者で、なぜか自身の死を偽装し、トパンガ・キャニオンに潜伏しているコーイを見つけ出すが、彼は組織に対する恐怖に支配され、身動きが取れなくなっている。
ドックは優れた能力を持つ探偵ではないが、ビッグフットとの腐れ縁が彼の運命を変える。ビッグフットはドッグを使って、自分が引きずる過去を清算しようと目論み、命懸けのサバイバルを強いられたドックのもとに大量のヘロインが転がり込むはめになる。組織に対して無力に等しい彼は、それをどう処理するのか。
ここで筆者が思い出していたのは、『パンチドランク・ラブ』のことだった。この映画は、ある食品会社のキャンペーンのスキをつき、プリンを12000個以上も購入して125万マイルのマイレージを獲得し、伝説の"プリン男"になった人物の実話にインスパイアされている。消費社会や女ばかりの家庭で抑圧され孤立するこの映画の主人公バリーは、大量のプリンによって消費社会に抵抗するといえる。
ドックのもとに転がり込む大量のヘロインもまた世界を侵食する消費社会の産物であり、彼はそれを使ってささやかな抵抗を試みる。この映画の世界では、ほとんどの人間が組織、消費社会、サバーバン・ライフに埋没しているが、ドックは唯一、そこから戻れそうな男を救うことになる。やはり最終的に家族が絡むところがいかにもアンダーソンらしい。 |