アンダーソンの想像力を刺激したのは、明らかにこの科学に立脚していた人間が宗教へとシフトし、大きな力を持つようになるというエピソードだ。彼はそれを自身のテーマである家族や擬似的な父子の関係と結びつけられると考えた。そこで、ハバードをモデルにしたランカスターと、フレディというもうひとりの人物が生み出され、このエピソードが再構築される。
ちなみに、プレスに収められたインタビューで彼は以下のように語っている。「僕はランカスターを、彼が最初に本を出した頃からマスターとして有名になり成功するまで、5つのステップに分けて考えた。その過程でふたりの関係も変わっていく」
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ランカスターは、「ザ・コーズ」という集団の指導者ではなく、個人としてフレディを受け入れ、交流を深めていく。フレディが作る怪しげな密造酒を媒介にした親密な関係がそれを物語る。だからこそ精神を病んだフレディに対するカウンセリングも効果を上げる。
しかし、やがてランカスターの理論や著作における表現が次第に変化し、支援者や関係者から疑問や批判の声が上がるようになる。フレディが暴力によってそうした声を封じていくのは、父親や家族を守るためだといえる。だが実際にはふたりの関係は、個人と個人のそれではなくなりつつあり、ランカスターが科学から神秘的、宗教的な世界にシフトしていくほどに溝が深まっていく。そして彼らがロンドンで再会するときには、かつての家族は組織と個人の間で引き裂かれている。
そんなランカスターとフレディの関係には、明らかにアンダーソンの前作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』におけるダニエルとH・Wのそれが引き継がれている。石油の採掘は単独では難しい。そこでダニエルも他人と組み、ある事故をきっかけに息子H・Wを得る。
ダニエルはそんな息子に対して両義的な感情を抱く。一方では、自分と息子を結ぶ石油が血に変わることを望んでいる。しかしその一方では息子を利用している。家族がパートナーであれば、投資や土地の買収の交渉に際して信頼を得られるからだ。
『ザ・マスター』では、カウンセリングや密造酒が血となるかのように見える。だが、映画の後半では、ランカスターがフレディに施すカウンセリングは、一対一の関係を深めるものではなく、信者を獲得するためのある種の見せ物と化している。
フレディがもし故郷に暮らす恋人と結ばれていたら、おそらくオーガニゼーション・マンのひとりになることを余儀なくされていただろう。その代わりにフレディは家族を見出すが、彼が守ろうとしたものはいつしか組織に変貌を遂げている。この映画では、50年代における組織と個人の相克が独自の表現で見事に浮き彫りにされている。