ポール・トーマス・アンダーソンの映画には、巨大なイチモツによってポルノ映画界の頂点に立つ男優(『ブギーナイツ』)、男性優位主義を唱える教祖やクイズ番組で勝ち抜く天才少年(『マグノリア』)など、世間の注目を集める人物たちが登場する。彼らは、脚光を浴びることによって満足感を得るが、心は満たされてはいない。
世の中には、注目されるだけで満たされる人間もいるのだろうが、アンダーソンの映画の主人公たちは違う。彼らは、本当は別のものを求めていたはずなのだが、いつしか注目されることに逃避し、それが目的だと信じ込んでいる。それゆえ彼らは孤独でもある。アンダーソンの魅力は、そういう心理を巧みにとらえてみせるところにある。
『パンチドランク・ラブ』のインスピレーションの源になっているのは、ある事で有名人になった男の実話だ。彼は食品会社のキャンペーンのスキをつき、プリンを12000個以上も購入して125万マイルのマイレージを獲得し、伝説の"プリン男"になった。この映画では、そんな伝説が消費社会のなかで読み直され、いかにもアンダーソンらしい人間洞察に繋がっていく。
主人公であるバリーの仕事は、詰まりを取る吸盤棒の販売で、彼は商品を特別なものに見せるために、客の前でパフォーマンスを繰り広げる。ある食品会社のキャンペーンが、計算してみるとすごく得であることに気づいた彼は、わざわざ食品会社に電話してその特典が間違いないことを確認し、食品のなかから効率よくマイレージを獲得できるプリンを見出し、ひたすら買いしめる。その一方で彼は、テレフォン・セックスのサービスで逆にスキをつかれ、金をゆすりとられてしまう。
バリーは、消費社会のなかを生き、積極的に関わっているように見える。しかし、それは違う。7人の姉たちに振り回されて育った彼は、女性とうまくコミュニケートできず、すぐに癇癪を起こすために、孤独な生活を送っている。そんな彼は、道端に置き去りにされたハーモニウムに特別な愛着を覚えるが、彼のなかでは、そのハーモニウムとマイレージのキャンペーンやテレフォン・セックスには隔たりがあるわけではない。彼がテレフォン・セックスのサービスに求めたのは、ヴァーチャルなセックスではなく、自分を個人とみなし、話を聞いてくれる人間である。彼がプリンを買い占めるのも、決して得をするためではない。それは、自分にも何かができることを証明したい、誰かから特別な人間とみなされたいという切実な気持ちの現れなのである。
アンダーソンは、"プリン男"の伝説から、消費社会のなかの抑圧と孤独を巧みに描きだしてみせるのだ。
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